日本人初!プロのホぺイロになった松浦紀典が語る物への矜持 Vol.4「エジムンドとの衝撃的なエピソードとホペイロのお告げ」
日本人初のプロのホぺイロとして東京ヴェルディや名古屋グランパスなどで25年に渡り活躍してきた松浦紀典さん。物への矜持や印象に残っている選手のこだわりなどについて約8時間に渡り聞いてきました。Vol4.ではエジムンドの忘れられないエピソードとビスマルクのスパイクを交換する際のこだわりについて聞きました。
菊池 康平
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2017/07/07
<インタビュー第1回はこちら>
<インタビュー第2回はこちら>
<インタビュー第3回はこちら>
――エジムンド選手についての忘れられない驚いたエピソードを教えてください。
松浦:エジムンド選手には凄いこだわりがあって、試合会場に来てまずは着替えますよね。 ウォーミングアップが始まる前に1人になりたいって言うんですよ。
だから1人の部屋を用意して下さいって言うんです。ホームゲームでしたら何とかなりますが、アウェイのスタジアムによっては狭いスタジアムもあるので大変なんです。
それでも絶対用意してくれって言うんですよ。
特別に自分だけ「その部屋に来ていいよ」って言われて行ったら、普通にリラックスしてただずっと集中してるんですよ。何も考えずにずっと。
――別にお祈りなどをしてるわけでもないんですか?
松浦:そういう事は一切なく、「エジ何やってるの?」って聞いたら「集中だよ」って。 ここからは戦いだって。部屋に入る時と部屋から出た時の顔つきが違うんですよ。どの選手もそうなんですけど、特に彼はその切り替えがすごかったですね。
――他にそういう事をやる選手っていないですよね?
松浦:彼が初めてですね。最初で最後かもしれないですね。
――エジムンドはフィオレンティーナなど色々なクラブにいたじゃないですか。そこでもきっと同じようにしていたんですかね?
松浦:同じようにやってたって言ってましたよ。 当時エジムンドを獲得する時に小見さんが監督だったんですけど、監督室に私も呼ばれて「この選手とこの選手とこの選手を取ろうと思うんだけど、誰がいい?」って言うんですよ。もちろん冗談半分で(笑)
ブラジル代表の選手ばっかりで「来るんですか?そんな選手!」と聞いたら「ピンチだから来る来ないとかじゃなくて取らなきゃいけないんだよ」って言ってました。
「僕はエジムンドが良いと思うんですよね~。」って言ったら「なんで?」って言われて。 当時ブラジル人が持ってたビーチサッカーの世界大会のビデオを見たんです。サッカーのオフ期間にロマーリオとかエジムンドがブラジルでビーチサッカーやってるんですよ。
日本はラモスさんとかが選手を集めて行って、日本代表として当時やってたんですけど、今はしっかりした組織になっていますよね。それでエジムンドがビーチでエラシコやってるんですよ。砂の上で!それが凄いんですよ。
小見さんが「俺も見たよ!あれは半端ないな!」とか言って。そしたらその1週間後とかに監督室に呼ばれて「エジムンドに決まったよ!」って言われて「えぇー!」と驚いたのを覚えています。
――まさかの展開ですね!
松浦:エジムンド選手とのエピソードがもう一つあります。1995年の時にヴェルディの春の合宿でブラジルに行ったんですよ。パルメイラスのグランドを借りてて、そこでビスマルク選手から紹介してもらったのがエジムンド選手でした。
当時パルメイラスの7番で「日本人のホペイロだよ」って紹介してもらったら、エジムンド選手にユニフォームを頂いたんですよ。
まさか数年後にチームメイトになるとは思っていなくて、その話をヴェルディで再会した時にしたら、「覚えてるよ」って言ってました。そこから自宅とかへも招待して頂いたりしました。
――友人としてですね。
松浦:そうですね。ただピッチ内とピッチ外でのエジムンド選手の変わり方っていうのが凄かったですね。
――そこが日本と世界の差なんですかね?
松浦:そうかもしれません。
――ちなみにポルトガル語を松浦さんは出来るんですか?
松浦:多少です。ペラペラじゃないんですけど、こういうことを言ってるんだなっていうのは理解できます。
――それは師匠のベゼーハさんと会話しながら学んだんですね。
松浦:そうですね、ただ師匠に日本語を教えている方が多かったですよ(笑)
――いつから一人になられたんですか?
松浦:1998年からですね。 フランスワールドカップの年ですね。
――あとヴェルディでインパクトに残っている出来事はありますか?
松浦:みんなすごい選手ばっかりでしたからね。そういえば、ビスマルク選手は穴が空いたスパイクを履くんですよ。
――あえて履くんですか?
松浦:そうですね、古いのが大好きで。
――何か柔らかい感じでフィットするとかなんですかね?
松浦:本人いわく神様が変えなさいって言うまでスパイクは変えないって言うんですよ。日本に来たのも神様のお告げだっていうんですよね。色んな世界の強豪チームからオファーがあったんですけど。
――神様のお告げがない限りスパイクは変えれないっていうことですね。
松浦:そうなんですよ。でもこれはホペイロのお告げだから変えなよって言ったんですよ。穴開いてるからって。ちょっと日付は忘れてしまったんですけど、ジュビロ磐田と雨の中の試合の時に、穴が開いてるからすごい水が入って来て、もう神様が限界だって言っているからって言って(笑)
ようやく「わかった」って言ってくれました。ただ、新しいスパイクを試合で履くより、ビスマルク選手は馴染んだのを履きたい選手だったので、常に練習で履いているのを自分が各試合に持って行って、いつでも履けるように準備していました。
パってそのスパイクを渡したら「おぉー!なんで持ってるの」って言って、そこは信頼関係でしたね。普段の好みを理解していても、本人が欲しいっていう時に無ければ意味がないので、常に持っていました。それはビスマルク選手もビックリしてましたね。
vol.5に続く http://king-gear.com/articles/403
松浦紀典さんのオフィシャルブログ
http://blog.livedoor.jp/roupeiro_matsu/
取材協力/株式会社ミズノ
<インタビュー第2回はこちら>
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――エジムンド選手についての忘れられない驚いたエピソードを教えてください。
松浦:エジムンド選手には凄いこだわりがあって、試合会場に来てまずは着替えますよね。 ウォーミングアップが始まる前に1人になりたいって言うんですよ。
だから1人の部屋を用意して下さいって言うんです。ホームゲームでしたら何とかなりますが、アウェイのスタジアムによっては狭いスタジアムもあるので大変なんです。
それでも絶対用意してくれって言うんですよ。
特別に自分だけ「その部屋に来ていいよ」って言われて行ったら、普通にリラックスしてただずっと集中してるんですよ。何も考えずにずっと。
――別にお祈りなどをしてるわけでもないんですか?
松浦:そういう事は一切なく、「エジ何やってるの?」って聞いたら「集中だよ」って。 ここからは戦いだって。部屋に入る時と部屋から出た時の顔つきが違うんですよ。どの選手もそうなんですけど、特に彼はその切り替えがすごかったですね。
――他にそういう事をやる選手っていないですよね?
松浦:彼が初めてですね。最初で最後かもしれないですね。
――エジムンドはフィオレンティーナなど色々なクラブにいたじゃないですか。そこでもきっと同じようにしていたんですかね?
松浦:同じようにやってたって言ってましたよ。 当時エジムンドを獲得する時に小見さんが監督だったんですけど、監督室に私も呼ばれて「この選手とこの選手とこの選手を取ろうと思うんだけど、誰がいい?」って言うんですよ。もちろん冗談半分で(笑)
ブラジル代表の選手ばっかりで「来るんですか?そんな選手!」と聞いたら「ピンチだから来る来ないとかじゃなくて取らなきゃいけないんだよ」って言ってました。
「僕はエジムンドが良いと思うんですよね~。」って言ったら「なんで?」って言われて。 当時ブラジル人が持ってたビーチサッカーの世界大会のビデオを見たんです。サッカーのオフ期間にロマーリオとかエジムンドがブラジルでビーチサッカーやってるんですよ。
日本はラモスさんとかが選手を集めて行って、日本代表として当時やってたんですけど、今はしっかりした組織になっていますよね。それでエジムンドがビーチでエラシコやってるんですよ。砂の上で!それが凄いんですよ。
小見さんが「俺も見たよ!あれは半端ないな!」とか言って。そしたらその1週間後とかに監督室に呼ばれて「エジムンドに決まったよ!」って言われて「えぇー!」と驚いたのを覚えています。
――まさかの展開ですね!
松浦:エジムンド選手とのエピソードがもう一つあります。1995年の時にヴェルディの春の合宿でブラジルに行ったんですよ。パルメイラスのグランドを借りてて、そこでビスマルク選手から紹介してもらったのがエジムンド選手でした。
当時パルメイラスの7番で「日本人のホペイロだよ」って紹介してもらったら、エジムンド選手にユニフォームを頂いたんですよ。
まさか数年後にチームメイトになるとは思っていなくて、その話をヴェルディで再会した時にしたら、「覚えてるよ」って言ってました。そこから自宅とかへも招待して頂いたりしました。
――友人としてですね。
松浦:そうですね。ただピッチ内とピッチ外でのエジムンド選手の変わり方っていうのが凄かったですね。
――そこが日本と世界の差なんですかね?
松浦:そうかもしれません。
――ちなみにポルトガル語を松浦さんは出来るんですか?
松浦:多少です。ペラペラじゃないんですけど、こういうことを言ってるんだなっていうのは理解できます。
――それは師匠のベゼーハさんと会話しながら学んだんですね。
松浦:そうですね、ただ師匠に日本語を教えている方が多かったですよ(笑)
――いつから一人になられたんですか?
松浦:1998年からですね。 フランスワールドカップの年ですね。
――あとヴェルディでインパクトに残っている出来事はありますか?
松浦:みんなすごい選手ばっかりでしたからね。そういえば、ビスマルク選手は穴が空いたスパイクを履くんですよ。
――あえて履くんですか?
松浦:そうですね、古いのが大好きで。
――何か柔らかい感じでフィットするとかなんですかね?
松浦:本人いわく神様が変えなさいって言うまでスパイクは変えないって言うんですよ。日本に来たのも神様のお告げだっていうんですよね。色んな世界の強豪チームからオファーがあったんですけど。
――神様のお告げがない限りスパイクは変えれないっていうことですね。
松浦:そうなんですよ。でもこれはホペイロのお告げだから変えなよって言ったんですよ。穴開いてるからって。ちょっと日付は忘れてしまったんですけど、ジュビロ磐田と雨の中の試合の時に、穴が開いてるからすごい水が入って来て、もう神様が限界だって言っているからって言って(笑)
ようやく「わかった」って言ってくれました。ただ、新しいスパイクを試合で履くより、ビスマルク選手は馴染んだのを履きたい選手だったので、常に練習で履いているのを自分が各試合に持って行って、いつでも履けるように準備していました。
パってそのスパイクを渡したら「おぉー!なんで持ってるの」って言って、そこは信頼関係でしたね。普段の好みを理解していても、本人が欲しいっていう時に無ければ意味がないので、常に持っていました。それはビスマルク選手もビックリしてましたね。
vol.5に続く http://king-gear.com/articles/403
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