古巣で夢を実現!ヴァンフォーレ甲府井上雄幾の充実したセカンドキャリア
引退して一度はチームを去った選手のなかには、再び指導者として携わる機会がある方もいらっしゃいます。今回インタビューさせていただいた、元ヴァンフォーレ甲府のDF井上雄幾さんもその一人。かつて選手として過ごしたクラブで、セカンドキャリアを歩まれている井上さんに現在の想いをお伺いしました。
白鳥 純一
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2017/11/20
2005年から2008年までの4年間をヴァンフォーレ甲府の選手として過ごした井上雄幾さん。
1996年に横浜フリューゲルス(1999年横浜Fマリノスに吸収合併)でプロ選手としてのキャリアをスタートさせ、ジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)やモンテディオ山形などでのプレーを経てヴァンフォーレ甲府に入団。
2005年には、ヴァンフォーレ甲府初のJ1昇格に貢献しました。井上雄幾さんはどのようなセカンドキャリアを過ごされているのでしょうか?
選手時代の井上雄幾さん
©VFK
横浜フリューゲルスユース(1993年〜96年)
横浜フリューゲルス(1996年〜99年)
ジェフユナイテッド市原(1999年〜2001年途中)
佐川急便サッカークラブ(2001年途中〜2002年)
モンテディオ山形(2002年〜2004年)
ヴァンフォーレ甲府(2005年〜2008年)
栃木SC(2009)
ブラウブリッツ秋田(2010年)
tonan前橋(2011年)
代表歴:
U-18代表候補(1995年)
U-21代表候補(1998年)
――現在はどんなお仕事をされていますか?
井上:ヴァンフォーレの下部組織でコーチをして現在6年目です。いまはジュニアの部で小学校5年生を担当しています。
――引退を決められた年齢と、今の仕事を選んだきっかけを教えてください。
井上:引退を決断したのは33〜34歳の頃でした。ヴァンフォーレ甲府を退団した後、アマチュアの社会人チームに所属したこともあるので、線引きが曖昧ですけども…。
――引退後に、今の仕事をすぐにはじめられたんですか?
井上:そうですね。アマチュアのチームにいた時に、サッカースクールの仕事をしていたりした時期もありましたが、社会人チームを引退後の翌シーズンにコーチとして声をかけていただきました。
――ヴァンフォーレ甲府退団後に現役を続けられていますが、選手としての未練があったんでしょうか?
井上:社会人チームに入ったのも、「指導者になろう」と思っていたからです。「指導者だ」と思っていたら、選手になってしまいました。
――「指導者になりたい」と考えられたのはいつ頃でしたか? すぐに気持ちを切り替えることはできましたか?
井上:引退した直後かもしれないですね。正直に言うと選手生活の最後の方は、身体のことや、思い描くプレーと身体がフィットしていないと感じていた時期でもあり、これ以上続けても仕方ないと思っていました。
きっぱり引退して他の仕事をするか、早めに指導者の道を探るか、どちらかを選んだ方がいいだろうなと思っていました。
先が見えてしまった部分があったので、切り替えは早かったですね。次のキャリアに向けて勉強したいなという気持ちを強く持っていました。
――「指導者になりたい」という目標を達成されているわけですが、充実したセカンドキャリアを過ごされていますか?
井上:選手として過ごしたクラブのコーチとして6年目を迎えました。現役選手と違って、マネージメントや送迎などの異なる業務があり、難しさを感じながらも、引き続きサッカーに携われて幸せだと思っています。
取材協力
・一般社団法人ヴァンフォーレスポーツクラブ
・ヴァンフォーレ甲府
・サポーツマン
・TREストライカー・アカデミー
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1996年に横浜フリューゲルス(1999年横浜Fマリノスに吸収合併)でプロ選手としてのキャリアをスタートさせ、ジェフユナイテッド市原(現ジェフユナイテッド市原・千葉)やモンテディオ山形などでのプレーを経てヴァンフォーレ甲府に入団。
2005年には、ヴァンフォーレ甲府初のJ1昇格に貢献しました。井上雄幾さんはどのようなセカンドキャリアを過ごされているのでしょうか?
選手時代の井上雄幾さん
©VFK
横浜フリューゲルスユース(1993年〜96年)
横浜フリューゲルス(1996年〜99年)
ジェフユナイテッド市原(1999年〜2001年途中)
佐川急便サッカークラブ(2001年途中〜2002年)
モンテディオ山形(2002年〜2004年)
ヴァンフォーレ甲府(2005年〜2008年)
栃木SC(2009)
ブラウブリッツ秋田(2010年)
tonan前橋(2011年)
代表歴:
U-18代表候補(1995年)
U-21代表候補(1998年)
――現在はどんなお仕事をされていますか?
井上:ヴァンフォーレの下部組織でコーチをして現在6年目です。いまはジュニアの部で小学校5年生を担当しています。
――引退を決められた年齢と、今の仕事を選んだきっかけを教えてください。
井上:引退を決断したのは33〜34歳の頃でした。ヴァンフォーレ甲府を退団した後、アマチュアの社会人チームに所属したこともあるので、線引きが曖昧ですけども…。
――引退後に、今の仕事をすぐにはじめられたんですか?
井上:そうですね。アマチュアのチームにいた時に、サッカースクールの仕事をしていたりした時期もありましたが、社会人チームを引退後の翌シーズンにコーチとして声をかけていただきました。
――ヴァンフォーレ甲府退団後に現役を続けられていますが、選手としての未練があったんでしょうか?
井上:社会人チームに入ったのも、「指導者になろう」と思っていたからです。「指導者だ」と思っていたら、選手になってしまいました。
――「指導者になりたい」と考えられたのはいつ頃でしたか? すぐに気持ちを切り替えることはできましたか?
井上:引退した直後かもしれないですね。正直に言うと選手生活の最後の方は、身体のことや、思い描くプレーと身体がフィットしていないと感じていた時期でもあり、これ以上続けても仕方ないと思っていました。
きっぱり引退して他の仕事をするか、早めに指導者の道を探るか、どちらかを選んだ方がいいだろうなと思っていました。
先が見えてしまった部分があったので、切り替えは早かったですね。次のキャリアに向けて勉強したいなという気持ちを強く持っていました。
――「指導者になりたい」という目標を達成されているわけですが、充実したセカンドキャリアを過ごされていますか?
井上:選手として過ごしたクラブのコーチとして6年目を迎えました。現役選手と違って、マネージメントや送迎などの異なる業務があり、難しさを感じながらも、引き続きサッカーに携われて幸せだと思っています。
取材協力
・一般社団法人ヴァンフォーレスポーツクラブ
・ヴァンフォーレ甲府
・サポーツマン
・TREストライカー・アカデミー
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