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反骨心で勝ち取った信頼を自信に変えて J1の舞台に挑む町田也真人の覚悟 【後編】

2019年シーズンより、J1松本山雅FC(以下、松本山雅)でプレーすることが決まっている町田也真人(29)。 前編では、不遇の時期を味わいながらも、努力で苦境を乗り越え、ジェフユナイテッド千葉(以下、ジェフ)の中心選手にまで駆け上がっていった、町田の成長曲線の裏側に迫った。後編では、1年前に名古屋からのオファーを断ってジェフに残留した時の真相、そして今回、築き上げてきた中心選手としての立場を捨て、新天地で一から新たなスタートを切ることを決意した町田の覚悟に迫る。

Icon segawa.taisuke1 瀬川 泰祐 | 2019/01/22

名実ともにチームの顔となった町田に届いたオファー


2017年シーズン、背番号10番を背負った町田は、この年に就任したばかりのファン・エスナイデル監督から、「お前が全てをやれ」と言われるほど、攻守に全幅の信頼を寄せられた。確固たる自信を手にいれた町田は、攻撃面でタクトを振るうだけでなく、もう一つの特徴である前線のプレスやボール奪取にも磨きをかけ、6得点8アシストの活躍を見せた。シーズン終盤の7連勝を含め、チームのプレーオフ進出にも大きく貢献したが、J1昇格プレーオフでは、名古屋グランパス(以下、名古屋)に敗れて、またもや、J1への夢は閉ざされてしまった。

しかし、プレーオフ終了直後、町田に再び大きな転機が訪れる。J1昇格を決めた名古屋から、獲得オファーが届いたのだ。つい数日前に閉ざされたばかりの夢への道が再び、町田の視界に現れた。

「J1でも出来るんじゃないか」という自信を掴み始めていた町田にとって、このオファーは、それまでやってきたことが間違いではなかったことを再確認する大きな出来事だった。町田の気持ちは、J1名古屋に大きく傾いた。

「2016年の天皇杯で川崎フロンターレと対戦した時に、早くJ1でやらないと、どんどん選手としての価値は下がってしまうんじゃないかっていう危機感を感じたんです。だから、オファーをもらった時は、正直なところ、もうジェフとは話をしたくないくらいの気持ちでした。だって、ジェフと話ししてしまうと、気持ちが揺らいでしまうから。でも、そのシーズンの終盤は、チームが本当によくまとまっていて、もしかしたら来季いけるんじゃないか、みんなでチームに残って一緒にやろうよって話が出ていたんです。また、その年に川崎フロンターレのJ1優勝を見たとき、中村憲剛さんや小林悠さんの姿をみて、長く一つのチームでプレーして目標を達成した時の感覚ってすごいんだろうなって思ったら、チームに残ってJ1昇格を達成したいっていう気持ちが大きくなっていました。チームも、“もう一年だけ、腹くくって一緒にやらないか”って言ってくれて、サポーターの方達も“行かないで”っていうメッセージをたくさんくれて。そこで、“来年もこのチームで覚悟を持って戦いたい”って思い、残留することを決めました。」
 

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結果的に、名古屋からのオファーを断ってまで下したこの決断が、ジェフサポーターの心を鷲掴みにした。ジェフに新たなヒーローが誕生した瞬間だった。

覚悟の1年を回想して


絶対にジェフをJ1に昇格させると意気込んだ2018年シーズンは、開幕から引き分けを挟んで3連敗と、大きくつまずいてしまう。また、町田自身も、チームのフォーメーション変更によって、ゴールやアシストという結果を残せずに苦しんでいた矢先、左肩関節を脱臼してしまい、長期離脱を余儀なくされてしまう。

町田不在の間、チームも黒星が先行してしまう苦しい状況に陥っていたが、「まだ間に合う」と、懸命なリハビリを行った末、3ヶ月でスタメン復帰を果たし、チームはすぐさま2連勝を飾るなど、ゲームキャプテンとしてチームを牽引する。町田の復帰により、チームの状態も上向き始めたかに見えたが、前年のような終盤の勢いを出すには至らず、クラブ史上最低の14位でシーズンを終えることになる。目標のJ1昇格に届くどころか、覚悟の一年は、まさかの結果に終わってしまった。

「いろいろな意味で覚悟の1年だった」と振り返る2018年シーズンを終えた町田の元には、J1への自動昇格を決めた松本山雅をはじめ、複数のクラブからオファーが届いていた。

さらなる成長を求めて


1年前、名古屋というビッククラブからのオファーを断ってまで、ジェフでのJ1昇格を目指すことにした町田の判断は、賞賛されるべきチャレンジだった。だが、その一方で、町田は、J1の舞台に挑戦しなかった自分に、どこか引っかかっていたのかもしれない。

「これまで中心選手としてやらせてもらっていたし、サポーターの方からも愛されているなって、感じていました。でも、もう一度環境を変えて、イチからスタートを切らないと、選手としてどんどん衰退してしまうんじゃないか。今チャレンジできない選手が、2年後、3年後に生き残っているのかなって感じて、チャレンジすることに決めました。」

町田が出した答えは、大好きなサポーターと別れ、さらなる成長を求めて挑戦するというものだった。その決断は、クラブの公式発表で「自分自身の分岐点」と表現するほど、サッカー人生を賭けた大きなものだった。

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それまで苦境の中で成長してきた町田にとって、ジェフというクラブから受けた愛情は、少し居心地が良くなりすぎてしまったのかもしれない。だからこそ、再スタートを切った今、町田は、プロ一年目の時のように、新鮮で前向きな気持ちでいる。

「松本山雅では、J1の厳しい戦いが待っているし、簡単に試合に出られるだなんて思ってもいません。ただ、これまで、コツコツとやって、積み上げてきた自信はある。だから絶対に・・・」

口元を引き締めながらこう語る町田の表情からは、強い覚悟がうかがえた。努力で勝ち取った信頼と、築き上げてきた立場を捨ててまで決断した、町田の新たな挑戦は、いま始まったばかりだ。町田は、7年間のプロ生活の中で勝ち取ってきた信頼を自信に変えて、J1という夢舞台に挑む。緑の仲間たちとともに。 


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(取材後記)

この取材は、松本山雅のチーム始動日直前の、1月初めに行われたものだ。取材の最後に、改めて、町田也真人本人より、ジェフのサポーター、そして松本山雅のサポーターへの言葉をもらった。記事の構成上、本文中に入れることができなかったが、どうしても伝えなけばならないと思い、このスペースで記載させてもらうことにする。 読者の方々には、町田の感謝の気持ちと、これからの覚悟をジェフ・松本山雅の両サポーターの方々に感じ取ってもらえたら、取材させてもらった者として、これ以上嬉しいことはない。


親愛なるジェフサポーターたちに


「ほんとうに大好きな方たちだったので、そこからいなくなる自分っていうのは、今はまだ想像がつかないんです。ただ、一つ言えるとしたら、あたたかくしてくれて本当に嬉しかったですし、自分のサッカー人生の多くのことをジェフに与えてもらったっていうことに、本当に感謝しています。昇格という一番のミッションを達成できなくて、申し訳なかったけど、これからもジェフを宜しくお願いします。」

これから共に戦う山雅サポーターに


「ジェフから移籍してきた町田也真人です。人生の大きなチャレンジをするために、移籍を決断しました。僕にとっては初めての移籍で、今は、ワクワクと不安と“やってやるぞ”っていう新鮮な気持ちです。あの熱狂的なサポーターが集まるアルウィンで、町田也真人が熱く戦っている姿を早く見てもらいたいですし、そのためにも、まずはいち早く認めてもらえるように頑張ります。これから共に戦いましょう。宜しくお願い致します。」


 取材・写真・文:瀬川泰祐