
英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.80 「アディダスNASLモデル編」
最近はスーパースターの移籍先や年俸に驚くことが多いですが、メッシ選手は北米のチームを新天地に選びました。45年ほど前にも北米のリーグに世界のスーパースターが集結したころがあり、その時に特別に作られたスパイクについて紹介します。

巻頭画像は、ベッカムさんがオーナーのインテルマイアミで活躍中のメッシ選手と、ニューヨークコスモスでチームメートだったペレ選手とベッケンバウアー選手(以下、皇帝)です。
USA及びカナダの一部地域のプロサッカーリーグは、現在はMLS(メジャーリーグサッカー)ですが、昔はNASL(北米サッカーリーグ)と呼ばれていました。
MLSはベッカムさんご自身をはじめ、世界各国のスター選手が在籍するサッカー強国のリーグですが、NASLが始まったころのアメリカはサッカー不毛の地でした。
そんな環境を変えるべく、70年代後半では、欧州、南米の数多くのスーパースターが在籍し、いつも世界選抜戦をしているようなリーグでした。
今も昔もスーパースターの移籍には大金が必要ですが、NASLにスーパースターがやってきたころは、アディダス社もサッカー不毛の地での拡販に力を入れたようで、特別モデルが販売されました(図1)。

図1 西ドイツの大スターがNASLへ移籍したころ(77年)の、アディダス社のNASL特別モデルのボールとスパイクの広告。
スパイクの色は黒が基本だったころに、白いアッパーに青と赤の3本線という当時としてはド派手なモデルは、いかにもアメリカ向けな感じです。 しかし、広告を見る限り、プロ選手が履くようなグレードのモデルではなさそうで、あまり興味はありませんでした。
ただ、長いことスパイク集めをしていますと、つい触手が伸びて、いつの間にか入手してしまったのが図2~4です。

図2 黒いアッパーの固定式NASLモデル(フランス製)

図3 白いアッパーの固定式NASLモデル(フランス製)。右下はNASL用ボールの近年製レプリカ。

図4 白いアッパーの取替え式NASLモデル(西ドイツ製)。
70年代のW杯では、出場選手の8割近くがアディダス社のスパイクを履いていたそうです。
サッカー界では知らない者はいない有名スポーツメーカーも、当時アメリカで人気だった、野球、アメフト、バスケットなどでのアディダスグッズの認知度は高くなかったと思われます。そのため、NASLはアディダス社にとって格好の市場であり、このような特別モデルをデビューさせたようです。
一方で、それまでサッカーグッズを手掛けていなかったアメリカメーカーはスパイクなどを生産するようになり、図5のポニーはペレ選手をはじめ、NYコスモスの多くの選手が使用していました。

図5 ポニーのペレ選手サイン入りモデル。
さて、1967年に発足したNASLですが、ペレ選手が加入した1975年ごろでも、ピッチは野球場を利用した人工芝だったり、部分的に土(ダイヤモンドの部分)だったりと、かなり劣悪だったようです(図6)。

図6 人工芝でのNASLの試合。選手はスパイクではなく、トレシューを使っています。
図6のシュートしているのは先日亡くなられたイングランドの名FWトレバー・フランシスさんです。ノッティンガム・フォレスト在籍時には、第1回トヨタカップでプレーされました。
相手選手は図3、4のようなアッパーが白いアディダスですが、スパイクではなくトレシューのようです。
昨今、NASLに所属した名選手の訃報が多く(G・ベストさん、クライフさん、ペレさん、G・ミュラーさんなど)、寂しい限りです。
NASLでのプーマ愛用選手は少なかったようですが、80年にワシントン・ディプロマッツでプレーしたオランダの英雄クライフ選手は、それまでと同様にプーマのキングを履いていました。
また、ポニーを履く選手が多かったNYコスモスでも、皇帝はアディダスのスパイクを履いており、図1のような記念モデルではなく、おそらくワールドカップ78の特別モデルを愛用していたようです(図7)。

図7 クライフ選手(左の赤)と競る選手は、かかと部分がNASL仕様になっているワールドカップウィナーを履いているようです。右はNASL時代の皇帝のスパイク。足入れ部分が図2のモデルのように赤く縁取られているワールドカップ78の特別仕様だと思われます(79年来日時、富越さん撮影)。
NASLモデルのアディダススパイクは市販品の他に、選手特別仕様モデルがあったようで、図7はその一種だったと思われます。
世界のコレクターには、そのモデルをお持ちの人もおられ、まれにオークションにも出品されていたようです(図8)。

図8 下は当時のアディダス最高峰モデルワールドカップ78のNASL特別仕様のようで、かかと部分に上2つの市販品と同様、NASLのロゴが入っています(引用先はこちら)。
メッシ選手はMLSに移籍されましたが、当時のペレさん、皇帝、クライフさんに匹敵する現代のスーパースターたちの中東への移籍が続いているようです。
今も昔もスター選手獲得には、巨額のお金が絡むことなので、今の日本では傍観するしかないようですが、イニエスタ選手級の日本好きビッグネームの加入を期待したいです。
(画像はゲッティイメージズなどから転載させていただきました)
USA及びカナダの一部地域のプロサッカーリーグは、現在はMLS(メジャーリーグサッカー)ですが、昔はNASL(北米サッカーリーグ)と呼ばれていました。
MLSはベッカムさんご自身をはじめ、世界各国のスター選手が在籍するサッカー強国のリーグですが、NASLが始まったころのアメリカはサッカー不毛の地でした。
そんな環境を変えるべく、70年代後半では、欧州、南米の数多くのスーパースターが在籍し、いつも世界選抜戦をしているようなリーグでした。
今も昔もスーパースターの移籍には大金が必要ですが、NASLにスーパースターがやってきたころは、アディダス社もサッカー不毛の地での拡販に力を入れたようで、特別モデルが販売されました(図1)。

図1 西ドイツの大スターがNASLへ移籍したころ(77年)の、アディダス社のNASL特別モデルのボールとスパイクの広告。
スパイクの色は黒が基本だったころに、白いアッパーに青と赤の3本線という当時としてはド派手なモデルは、いかにもアメリカ向けな感じです。 しかし、広告を見る限り、プロ選手が履くようなグレードのモデルではなさそうで、あまり興味はありませんでした。
ただ、長いことスパイク集めをしていますと、つい触手が伸びて、いつの間にか入手してしまったのが図2~4です。

図2 黒いアッパーの固定式NASLモデル(フランス製)

図3 白いアッパーの固定式NASLモデル(フランス製)。右下はNASL用ボールの近年製レプリカ。

図4 白いアッパーの取替え式NASLモデル(西ドイツ製)。
70年代のW杯では、出場選手の8割近くがアディダス社のスパイクを履いていたそうです。
サッカー界では知らない者はいない有名スポーツメーカーも、当時アメリカで人気だった、野球、アメフト、バスケットなどでのアディダスグッズの認知度は高くなかったと思われます。そのため、NASLはアディダス社にとって格好の市場であり、このような特別モデルをデビューさせたようです。
一方で、それまでサッカーグッズを手掛けていなかったアメリカメーカーはスパイクなどを生産するようになり、図5のポニーはペレ選手をはじめ、NYコスモスの多くの選手が使用していました。

図5 ポニーのペレ選手サイン入りモデル。
さて、1967年に発足したNASLですが、ペレ選手が加入した1975年ごろでも、ピッチは野球場を利用した人工芝だったり、部分的に土(ダイヤモンドの部分)だったりと、かなり劣悪だったようです(図6)。

図6 人工芝でのNASLの試合。選手はスパイクではなく、トレシューを使っています。
図6のシュートしているのは先日亡くなられたイングランドの名FWトレバー・フランシスさんです。ノッティンガム・フォレスト在籍時には、第1回トヨタカップでプレーされました。
相手選手は図3、4のようなアッパーが白いアディダスですが、スパイクではなくトレシューのようです。
昨今、NASLに所属した名選手の訃報が多く(G・ベストさん、クライフさん、ペレさん、G・ミュラーさんなど)、寂しい限りです。
NASLでのプーマ愛用選手は少なかったようですが、80年にワシントン・ディプロマッツでプレーしたオランダの英雄クライフ選手は、それまでと同様にプーマのキングを履いていました。
また、ポニーを履く選手が多かったNYコスモスでも、皇帝はアディダスのスパイクを履いており、図1のような記念モデルではなく、おそらくワールドカップ78の特別モデルを愛用していたようです(図7)。

図7 クライフ選手(左の赤)と競る選手は、かかと部分がNASL仕様になっているワールドカップウィナーを履いているようです。右はNASL時代の皇帝のスパイク。足入れ部分が図2のモデルのように赤く縁取られているワールドカップ78の特別仕様だと思われます(79年来日時、富越さん撮影)。
NASLモデルのアディダススパイクは市販品の他に、選手特別仕様モデルがあったようで、図7はその一種だったと思われます。
世界のコレクターには、そのモデルをお持ちの人もおられ、まれにオークションにも出品されていたようです(図8)。

図8 下は当時のアディダス最高峰モデルワールドカップ78のNASL特別仕様のようで、かかと部分に上2つの市販品と同様、NASLのロゴが入っています(引用先はこちら)。
メッシ選手はMLSに移籍されましたが、当時のペレさん、皇帝、クライフさんに匹敵する現代のスーパースターたちの中東への移籍が続いているようです。
今も昔もスター選手獲得には、巨額のお金が絡むことなので、今の日本では傍観するしかないようですが、イニエスタ選手級の日本好きビッグネームの加入を期待したいです。
(画像はゲッティイメージズなどから転載させていただきました)