
英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.17 『カナリア軍団のルコック、トッパー編』
82年W杯のブラジル代表は黄金のカルテットで有名ですが、そのうちの名選手3人が、その後の日本サッカーの発展にご尽力いただけるとは当時まったく想像できませんでした。80年代のブラジル代表のスパイクで特筆すべき点は、自国ブランド「Made in Brazil」を使っていたことだと思います。

試合開始前、セレソンの写真撮影時に一緒に写っている方は、マッサージ担当のNocaute Jack さんで、当時、こんな感じで割と長い期間写っていた記憶があります。
ホペイロをはじめ、裏方さんをリスペクトする習慣だったのでしょうか?
さて、80年代以降、日本人にとって最もお馴染みのブラジル代表選手と言えばジーコ選手だと思います(以下、ジーコさん)。
今回はジーコさんの日本サッカー界復帰記念ということで急遽書かせていただきました。ジーコさんはW杯に3回出場しており、その時のスパイクは図1の通りです。
図1 W杯でのジーコさん。78年大会(左)では、おそらく2種類のソールのアディダス取替え式スパイクを履かれたようです。ジーコさんがこれ以降、取替え式を履くのは珍しいと思います。
82年大会(中央)ではルコック固定式(多分、22000円もするエスパーニャ)、86年大会(右)はシュータンを短くしたコパムンを履かれていました。
ジーコさんはスパイクメーカーにあまりこだわらない選手だったようで、クラブチームでは図1以外にディアドラ(イタリア・ウディネーゼ時代)、ブラジルでの晩年(フラメンゴ)からアントラーズではプーマをご使用でした。
また、(アントラーズの前身)住金加入前に日本で行われたワールドマスターズサッカーでは珍しくミズノを履いていました。
図2 W杯以外でのジーコさん。セリエA時代(左)、スパイクはディアドラですが、ボールがルコックです。アントラーズ時代(中央)。
右は、一度フラメンゴを引退した後、90年に国立競技場で行われたワールドマスターズサッカーに出場されたジーコさん。他のリタイア選手に比べ、お一人だけ動きがキレキレでした。レフリーは、あの方だったんですね。
82年W杯でルコック製のスパイクやユニフォームを初めて目にして、とても憧れた覚えがあります。特に、ユニフォームやジャージ類は高価でしたが、それ以降、日本でも結構流行りました。
ルコック製スパイクはストイコビッチ選手が愛用していた90年代以降に比べ(グランパス入団直後はプーマでした)、80年代はマイナーだったと思います。80年代のルコックはスタッドが多いのが特徴で、取替え式は8本(当時は6本が主流)、固定式は17本ぐらいありました。
図3左はナポリ8というモデルです。
図3 中央下が当時の主なルコックスパイクです。おそらくアッパーの革の違いで価格設定が違ったようです。
廉価版(ナポリ8など)はバッファロー(水牛?)革製だったでしょうか。とても固いです。カタログ上ではあまり違いがわかりませんが、82年W杯出場選手のルコックスパイクを比較すると、オスカー選手(右上)とジーコ選手(その下)のスパイクは一見同じ固定式に見えますが、ルコックマークの白黒が反転しています。
取替え式も右下(カメルーン・ミラ選手など)とアルディレス選手のスパイク(その上)はスタッドの数、ルコックマークの大きさなどが違います。
巻頭写真のセレソンの11人中3人のスパイクはメイドインブラジルのトッパーでした。トッパーのスパイクも平成以降日本製が販売されていたようですが、この当時はブラジル製です。特にソクラテス選手は代表でもクラブでも、ずっとトッパースパイクを愛用していたと思います(図4左)。弟さんも代表デビュー時はトッパーでした(その後はミズノ)。
元日本代表監督ファルカン選手は、82年W杯は妙な3本線のスパイクでしたが、おそらく違うメーカーの物だったと思います。
元アントラーズ監督セレーゾ選手はポニーでした。 86年W杯ではファルカン選手はあまり出番がありませんでしたが、トッパーを履かれていました。
図4 ソクラテス選手(写真左)。ジーコさん(10番)も載せたのは珍しく取替え式のルコックスパイクを履いていたからです(挿入写真)。
左から2番目はライー選手(ソクラテス選手の実弟)。右から2番目は82年W杯のファルカン選手とセレーゾ選手。この当時、ファルカン選手はイタリア・ASローマに所属しており、変な場所(かなりつま先寄り)に3本線がついていたスパイクは、おそらくパントフォラドーロ製のような気がします。一番右は86年W杯のファルカン選手。
図5左は、図3と同様、懐かしさで入手してしまったトッパーのスパイクです。詳細はわかりませんがブラジル製です。
80年代、トッパーをはじめ、多くのブラジル製サッカー用品(アスレタやブラジル製アディダスなど)を、静岡の有名ショップが輸入販売していました(右)。現在のトッパーはフットサル製品が多いようです。

図5 トッパーのスパイク(左)、ソクラテススーパー。右の一覧にはなく、いつ頃のどんなモデルかは不明です。
ルコック、トッパー以外のスパイクですが、図6の3選手はプーマです。皆さん固定式ですが、82年W杯のブラジル選手は固定式比率がとても高かったと思われます(ルコック、トッパーユーザーも)。
アディダスはルイジーニョ選手(右写真の4番)だけでしたが、巻頭写真のイレブンでは唯一の取替え式ユーザーでした。と思ったらアルゼンチン戦に途中出場し、神に蹴られたバチスタ選手(倒れている選手)のスパイクはルコックの取替え式でした。
オスカー選手(元日産選手兼監督。82年大会メンバーでは、日本サッカーの元祖功労者)もスコットランド戦ではルコック取替え式をお使いでした。調べてみると、まだまだ知らなかったことがたくさんあります。
図6 プーマスパイクを履く左からレアンドロ選手、ジュニオール選手、エデル選手(多分どれもベルトマイスター)。
エデル選手は初戦のソ連戦の途中で取替え式キングから固定式に履き換えて、強烈な逆転ゴールを決めたようです。以降、この大会はずっと固定式だったようです。
バチスタ選手を蹴って退場になった神も、この時のスパイクはベルトマイスターだったと思います。
次回こそはプーマのシグネチャーモデル(ペレモデルを除く)について書きたいと思います(予定変更もありますがご容赦下さい)。
(写真は当時のサッカーマガジン、イレブン及びゲッティイメージズなどより引用)
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『神に愛された西独製サッカースパイク』
80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。
さて、80年代以降、日本人にとって最もお馴染みのブラジル代表選手と言えばジーコ選手だと思います(以下、ジーコさん)。
今回はジーコさんの日本サッカー界復帰記念ということで急遽書かせていただきました。ジーコさんはW杯に3回出場しており、その時のスパイクは図1の通りです。

82年大会(中央)ではルコック固定式(多分、22000円もするエスパーニャ)、86年大会(右)はシュータンを短くしたコパムンを履かれていました。
ジーコさんはスパイクメーカーにあまりこだわらない選手だったようで、クラブチームでは図1以外にディアドラ(イタリア・ウディネーゼ時代)、ブラジルでの晩年(フラメンゴ)からアントラーズではプーマをご使用でした。
また、(アントラーズの前身)住金加入前に日本で行われたワールドマスターズサッカーでは珍しくミズノを履いていました。

右は、一度フラメンゴを引退した後、90年に国立競技場で行われたワールドマスターズサッカーに出場されたジーコさん。他のリタイア選手に比べ、お一人だけ動きがキレキレでした。レフリーは、あの方だったんですね。
82年W杯でルコック製のスパイクやユニフォームを初めて目にして、とても憧れた覚えがあります。特に、ユニフォームやジャージ類は高価でしたが、それ以降、日本でも結構流行りました。
ルコック製スパイクはストイコビッチ選手が愛用していた90年代以降に比べ(グランパス入団直後はプーマでした)、80年代はマイナーだったと思います。80年代のルコックはスタッドが多いのが特徴で、取替え式は8本(当時は6本が主流)、固定式は17本ぐらいありました。
図3左はナポリ8というモデルです。

廉価版(ナポリ8など)はバッファロー(水牛?)革製だったでしょうか。とても固いです。カタログ上ではあまり違いがわかりませんが、82年W杯出場選手のルコックスパイクを比較すると、オスカー選手(右上)とジーコ選手(その下)のスパイクは一見同じ固定式に見えますが、ルコックマークの白黒が反転しています。
取替え式も右下(カメルーン・ミラ選手など)とアルディレス選手のスパイク(その上)はスタッドの数、ルコックマークの大きさなどが違います。
巻頭写真のセレソンの11人中3人のスパイクはメイドインブラジルのトッパーでした。トッパーのスパイクも平成以降日本製が販売されていたようですが、この当時はブラジル製です。特にソクラテス選手は代表でもクラブでも、ずっとトッパースパイクを愛用していたと思います(図4左)。弟さんも代表デビュー時はトッパーでした(その後はミズノ)。
元日本代表監督ファルカン選手は、82年W杯は妙な3本線のスパイクでしたが、おそらく違うメーカーの物だったと思います。
元アントラーズ監督セレーゾ選手はポニーでした。 86年W杯ではファルカン選手はあまり出番がありませんでしたが、トッパーを履かれていました。

左から2番目はライー選手(ソクラテス選手の実弟)。右から2番目は82年W杯のファルカン選手とセレーゾ選手。この当時、ファルカン選手はイタリア・ASローマに所属しており、変な場所(かなりつま先寄り)に3本線がついていたスパイクは、おそらくパントフォラドーロ製のような気がします。一番右は86年W杯のファルカン選手。
図5左は、図3と同様、懐かしさで入手してしまったトッパーのスパイクです。詳細はわかりませんがブラジル製です。
80年代、トッパーをはじめ、多くのブラジル製サッカー用品(アスレタやブラジル製アディダスなど)を、静岡の有名ショップが輸入販売していました(右)。現在のトッパーはフットサル製品が多いようです。

図5 トッパーのスパイク(左)、ソクラテススーパー。右の一覧にはなく、いつ頃のどんなモデルかは不明です。
ルコック、トッパー以外のスパイクですが、図6の3選手はプーマです。皆さん固定式ですが、82年W杯のブラジル選手は固定式比率がとても高かったと思われます(ルコック、トッパーユーザーも)。
アディダスはルイジーニョ選手(右写真の4番)だけでしたが、巻頭写真のイレブンでは唯一の取替え式ユーザーでした。と思ったらアルゼンチン戦に途中出場し、神に蹴られたバチスタ選手(倒れている選手)のスパイクはルコックの取替え式でした。
オスカー選手(元日産選手兼監督。82年大会メンバーでは、日本サッカーの元祖功労者)もスコットランド戦ではルコック取替え式をお使いでした。調べてみると、まだまだ知らなかったことがたくさんあります。

エデル選手は初戦のソ連戦の途中で取替え式キングから固定式に履き換えて、強烈な逆転ゴールを決めたようです。以降、この大会はずっと固定式だったようです。
バチスタ選手を蹴って退場になった神も、この時のスパイクはベルトマイスターだったと思います。
次回こそはプーマのシグネチャーモデル(ペレモデルを除く)について書きたいと思います(予定変更もありますがご容赦下さい)。
(写真は当時のサッカーマガジン、イレブン及びゲッティイメージズなどより引用)
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『神に愛された西独製サッカースパイク』
80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。