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K-1で“新時代の貴公子”と呼ばれる大久保琉唯ーその優雅さの裏にある飽くなき挑戦と進化の物語

K-1のリングで華麗に躍動し、「新時代の貴公子」と称される大久保琉唯選手。その優雅で力強い戦いぶりの背後には、幼い頃から格闘技に捧げてきた情熱と、勝ち続けるがゆえの苦悩があった。勝利だけでは評価されない格闘技の厳しさに向き合いながらも、純粋にこの競技を愛する心が、彼の成長を支えてきた。「自分自身との戦い」を乗り越えたその軌跡は、挑戦するすべての人に勇気と新たな視点を与えてくれるだろう。※トップ画像撮影/長田慶

Icon       池田 鉄平 | 2024/12/09

学校では普通の少年、リングでは闘志を燃やすプロ選手の素顔

――「琉唯」という名前の由来について教えてください。

『琉』は琉球の『琉』、『唯』は唯一の『唯』です。『琉』は個性的で宝石のように光輝く魅力のある子に育ってほしい、『唯』は世界に一つだけの、唯一無二の存在になってほしいという願いが込められているそうです。この名前、正直『めっちゃいい』かどうかは分かりませんが(笑)、自分では気に入っています。

――キックボクシングを始めたのはいつ頃ですか?

小学校1年生のときです。もともと父がキックボクシングをやっているのを見て、『かっこいいな』と思ったのがきっかけです。最初は遊び感覚で、ジムに行くのも練習後のお菓子が目当てでした(笑)。でも、試合に勝つ喜びを知ってから、次第に夢中になっていきました。

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撮影/長田慶

――手応えを感じた瞬間や進む道を決めたタイミングは?

小学校5年生の全国大会で優勝したときですね。その後、中学3年生までにアマチュアで35本のベルトを獲得しました。それで自信がつきましたし、格闘技が生活の一部になっていく中で、自然と『これでやっていく』と決めました。

学校でも将来の夢は格闘技一本。それが当たり前になっていました。正直、格闘技がなかったら自分には特技が何もないと思います。だからこそ、この競技で自分の秀でた部分をもっと伸ばしたいと思い、続けています。

――格闘技は過酷な世界だと思いますが、辞めたいと思ったことはありますか?

もちろん大変なこともあります。でも、辞めたら何も残らないと思っているので、辞めたいと思うことはほとんどなかったですね。むしろ、大変さを超えるくらい、格闘技が自分にとって大事なものです。

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撮影/長田慶

――周りの友達からはどんなふうに見られていましたか?

小学生や中学生の頃は、『格闘技をやっていて強い人』っていう印象が強かったと思います。でも、プロとして活動するようになってからは、『大変そう』っていうイメージに変わったみたいです。とはいえ、学校では普通に友達とワイワイ楽しんでいて、競技をしている時とは違う自分を見せていました。

「ポジティブこそ最強の武器」―落ち込まない性格が生む挑戦の連続

――強くなるために、何か我慢したことはありますか?

親が厳しかったですね。試合の1~2週間前は遊びが禁止されていました。怪我のリスクがあるから、自転車にも乗ることを許されませんでした。練習を1回でも休むと怒られるような環境でした。でも、その厳しさがあったからこそ、途中で諦めずに続けられたと思います。

――厳しい環境の中で、自分を支えたものは何でしたか?

練習後に怒られたりすると、『辞めたい』『やってられない』と思うこともありました。でも、一晩寝ると忘れちゃうんですよね(笑)。結局、格闘技が純粋に好きだったから続けられたんだと思います。

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撮影/長田慶

――ご自身の性格をどう分析しますか?

ポジティブな方だと思います。あまり深く考えず、とりあえずやってみるタイプですね。失敗しても、すぐに『次はこうしよう』と切り替えられます。落ち込む時間があまり長くないのが自分の強みだと思います。

評価されない勝利の苦悩―「このままじゃダメだ」と気づいた瞬間

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撮影/長田慶

――格闘技でスランプや壁にぶつかった瞬間はどんな時でしたか?

中学2年生から3年生にかけて、自分自身が大きな壁にぶつかった時期がありました。それまで毎週のように大会に出場し、勝ち続けていましたが、次第に成長を感じられなくなったんです。

試合では「勝つためのパターン」が見えてしまい、練習で新しい技に挑戦しても、いざ試合になるとリスクを恐れていつもの戦い方に戻ってしまう。それに気付いたとき、「このままじゃダメだ」と強く思いました。

格闘技の世界では、ただ勝てば評価されるわけではありません。「良い勝ち方ではない」と言われ、勝ったのに評価されないことが半年ほど続きました。そのたびに親や会長からも厳しい言葉を受け、悔しさが込み上げました。

でも、その経験があったからこそ、「根本的に何が足りないのか」を考え、これまでとは違う視点で物事を見つめ直すことができたんだと思います。

この時期の困難を乗り越えたことで、技術だけでなく、考え方や心の持ち方にも大きな変化が生まれました。それが、今の自分を支える原点となっています。

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撮影/長田慶

――具体的にその壁をどのように乗り越えましたか?

当時はムエタイに取り組んでいて、試合では首相撲(相手と組みながら攻撃する技術)を武器に勝つことが多かったです。ただ、首相撲に頼りすぎていると感じ、そこから脱却する必要があると考えました。

練習では首相撲をあえて使わず、距離を取った戦い方を意識して取り組みました。その結果、新しい技術を身につけることができ、より幅広いスタイルに対応できるようになりました。

特にK-1では首相撲が禁止されているため、この経験が大いに役立ちました。首相撲に頼らないスタイルを磨いたことで、戦い方の幅が広がり、自分自身も総合的に成長できたと感じています。この変化が、今の自分の強さに確実に繋がっていると思います。

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「甘いものと闘志」―K-1貴公子“大久保琉唯”の強さと意外な素顔

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大久保 琉唯(おおくぼ・るい)
2004年9月12日生まれ、栃木県宇都宮市出身。K-1ジム・ウルフ TEAM ASTER所属。身長176cm 、体重55.0kg。ファイトスタイルはオーソドックス、入場曲はBTSの『Euphoria』。小学1年生の時に父親の影響でキックボクシングを始め、数々のアマチュア大会で輝かしい実績を残す。2021年にはK-1アマチュア全日本大会とK-1甲子園-55kgで優勝を果たし“K-1 GROUPの年間表彰式”「K-1 AWARDS 2021」のアマチュアMVPに選出。翌22年2月にプロデビューを果たす。同年6月「THE MATCH 2022」で那須川天心の弟・龍心に勝利し、9月にはプロ4戦目にして初代Krushフライ級王者に。24年9月「K-1 WORLD MAX 2024 -55kg世界最強決定トーナメント」で準優勝。戦績は10戦8勝(0KO) 2敗0分。

Hair&make:Anri Toyomori  (PUENTE.Inc)
Photo:Kei Osada

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