澤はライバルであり、分かり合える特別な存在。元なでしこジャパン原歩が抱く同級生への想い
かつて、なでしこジャパンのキャプテンとしてチームを牽引し、2008年の北京五輪日本代表としても活躍された原歩さん。2009年に現役を引退し、現在はセカンドキャリアとして女子サッカー「FC町田ゼルビアレディース」のコーチを務めるなど、指導者の道を歩んでいる。インタビュー第2回となる今回は、ご自身のギアについて伺うとともに、6度のW杯と4度の五輪に出場し、2011年FIFA女子W杯ドイツ大会で得点王とMVPを獲得した、同級生である澤穂希さんとのエピソードを聞かせていただいた。
佐藤 主祥
|
2018/04/16
<インタビュー第1回はこちら>
ー原さんは中学1年生の時に、読売日本サッカークラブベレーザ(現・日テレベレーザ)の下部組織であるメニーナに在籍されていました。当時、履かれていたスパイクのメーカーって覚えていますか?
原:プーマの『パラメヒコ』を履いていたと思います。
ー学生からすると、パラメヒコの値段は高かったんじゃないですか?(笑)
原:高かったですね(笑)。当時は親に「買って」なんて言えなかったですし、お小遣いも足りなかったので。
でも中学3年生でメニーナからベレーザに昇格した時に、「これからサッカーで飯を食っていくんだな」っていう自覚が出てきたんです。それからスパイクにはこだわりを持つようになりましたね。
それに、もともと走るのが苦手だったんですよ。長距離でも短距離でもそうなんですけど、すぐ疲れちゃって。
なので少しでも速く走れて、疲れないようなスパイクを探していたんです。それで出会ったのがパラメヒコでした。
ーカズさん(三浦知良選手)もパラメヒコを履いていましたが、そこに憧れを持っていたというのは?
原:たまたまですね(笑)。履いてみて、自分に合っていたから選びました。
でも確かに、当時はカズさんの影響で周りのパラメヒコ率が高かったので、みんな「あの靴いいんじゃね!?」みたいな(笑)。選ぶうえで参考にさせていただいた部分もあったかもしれませんね。
ーなるほど。でも中学3年生でベレーザでプレーされていたっていうのは、単純にすごいですよね(笑)
原:そうかもしれません。ただ、同期で澤穂希選手がいたので(笑)。だから自分だけ特別っていうわけではなかったですね。
ーすでにロールモデルがいたわけですね。
原:はい。ずっと背中を追いかけていましたし、それと同時にライバル意識も持ってました。同い年ですし、「澤には負けたくない!」っていう気持ちは強かったですね。
だからいつも澤の分析をしていたんです。でもそれによって、澤と同じプレーをしてても自分はダメなんだって、誰かの真似をしても自分は上手くなれないっていうことに気づかされました。それで「自分も澤にないものを得れば、肩を並べられるんじゃないか」っていう想いを抱いたり。
今考えると、本当に澤ありきのサッカー人生だったと思います。
高校も同じところに入学しましたしね。2人で勉強せずに入れる学校を探したりして(笑)
ーメニーナ時代からずっと一緒だったんですね。最後に共にプレーされたのは、2008年の北京五輪ですよね?
原:そうです。私、北京五輪のノルウェー戦で途中出場してゴールを決めたんですね。でもこの試合って結果5-1で大勝して、私はその5点目を決めたんですけど、もうとっくに試合決まってるじゃないですか?そんなに喜ぶ場面でもないのに、澤は誰よりも一番に私のところに寄ってきてくれたんですよ。それがめちゃくちゃ嬉しくて。
ーうわぁ…それはシビれますね。
原:本当にシビれました。澤とは学生の時から一緒にやってきましたけど、ライバルという立場でもあったので、ピッチ上ではお互いのやりたいこととか、考えてることは何となく分かるんですよね。
だから、その試合の中ではあまり意味のないゴールだとしても、五輪という舞台を追い続けていた私がゴールを決めたということを、澤は特別な意味で捉えてくれていたんだと思います。
ーライバルではあるけど、ピッチの上では分かり合える仲間というか、本当に良い関係なんですね。
原:そうですね。だからゴールを決めて、私に寄ってきてくれた時は本当に嬉しかったです。
ー今はたまに会ったりとかは?
原:本当に良かったなと思いましたね。私自身はもう全てを出し尽くしていて、「これ以上、代表で出ることはないな」って思っていたので。もう少し頑張ればW杯のピッチに立てたとか、そんなことも思いません。
なので「やっぱりあの人たちすごいな」って、改めて思いました。あんなすごいメンバーと、北京五輪で一緒に戦えて本当に良かったなって、心の底から思います。
ー先日、日本代表が2019年のフランスW杯出場を決めました。なでしこジャパンの先輩として、何かメッセージはありますか?
原:厳しい戦いが続きましたが、本当によくW杯の切符を勝ち取ってくれたと思います。これからは目の前の大会、目の前の一戦に全力で臨んでほしいです。その先にW杯での優勝や、2020年の東京五輪が見えてくると思うので。なので一つひとつ着実に結果を出していってほしいと思います。
<インタビュー第3回はこちら>
ー原さんは中学1年生の時に、読売日本サッカークラブベレーザ(現・日テレベレーザ)の下部組織であるメニーナに在籍されていました。当時、履かれていたスパイクのメーカーって覚えていますか?
原:プーマの『パラメヒコ』を履いていたと思います。
ー学生からすると、パラメヒコの値段は高かったんじゃないですか?(笑)
原:高かったですね(笑)。当時は親に「買って」なんて言えなかったですし、お小遣いも足りなかったので。
でも中学3年生でメニーナからベレーザに昇格した時に、「これからサッカーで飯を食っていくんだな」っていう自覚が出てきたんです。それからスパイクにはこだわりを持つようになりましたね。
それに、もともと走るのが苦手だったんですよ。長距離でも短距離でもそうなんですけど、すぐ疲れちゃって。
なので少しでも速く走れて、疲れないようなスパイクを探していたんです。それで出会ったのがパラメヒコでした。
ーカズさん(三浦知良選手)もパラメヒコを履いていましたが、そこに憧れを持っていたというのは?
原:たまたまですね(笑)。履いてみて、自分に合っていたから選びました。
でも確かに、当時はカズさんの影響で周りのパラメヒコ率が高かったので、みんな「あの靴いいんじゃね!?」みたいな(笑)。選ぶうえで参考にさせていただいた部分もあったかもしれませんね。
ーなるほど。でも中学3年生でベレーザでプレーされていたっていうのは、単純にすごいですよね(笑)
原:そうかもしれません。ただ、同期で澤穂希選手がいたので(笑)。だから自分だけ特別っていうわけではなかったですね。
ーすでにロールモデルがいたわけですね。
原:はい。ずっと背中を追いかけていましたし、それと同時にライバル意識も持ってました。同い年ですし、「澤には負けたくない!」っていう気持ちは強かったですね。
だからいつも澤の分析をしていたんです。でもそれによって、澤と同じプレーをしてても自分はダメなんだって、誰かの真似をしても自分は上手くなれないっていうことに気づかされました。それで「自分も澤にないものを得れば、肩を並べられるんじゃないか」っていう想いを抱いたり。
今考えると、本当に澤ありきのサッカー人生だったと思います。
高校も同じところに入学しましたしね。2人で勉強せずに入れる学校を探したりして(笑)
ーメニーナ時代からずっと一緒だったんですね。最後に共にプレーされたのは、2008年の北京五輪ですよね?
原:そうです。私、北京五輪のノルウェー戦で途中出場してゴールを決めたんですね。でもこの試合って結果5-1で大勝して、私はその5点目を決めたんですけど、もうとっくに試合決まってるじゃないですか?そんなに喜ぶ場面でもないのに、澤は誰よりも一番に私のところに寄ってきてくれたんですよ。それがめちゃくちゃ嬉しくて。
ーうわぁ…それはシビれますね。
原:本当にシビれました。澤とは学生の時から一緒にやってきましたけど、ライバルという立場でもあったので、ピッチ上ではお互いのやりたいこととか、考えてることは何となく分かるんですよね。
だから、その試合の中ではあまり意味のないゴールだとしても、五輪という舞台を追い続けていた私がゴールを決めたということを、澤は特別な意味で捉えてくれていたんだと思います。
ーライバルではあるけど、ピッチの上では分かり合える仲間というか、本当に良い関係なんですね。
原:そうですね。だからゴールを決めて、私に寄ってきてくれた時は本当に嬉しかったです。
ー今はたまに会ったりとかは?
原:あまり連絡は取ってないですね。でもご飯でも行きたいなぁとは思ってます。でも忙しいと思うので、仙台だから(笑)
ー確かに遠いですよね(笑)。それと、この北京五輪で一緒に戦ったメンバーが2011年のW杯で優勝した時というのは、どういう気持ちで見ていたんですか?複雑な心境だったのか、それとも心から喜ぶことができたのか。
ー確かに遠いですよね(笑)。それと、この北京五輪で一緒に戦ったメンバーが2011年のW杯で優勝した時というのは、どういう気持ちで見ていたんですか?複雑な心境だったのか、それとも心から喜ぶことができたのか。
原:本当に良かったなと思いましたね。私自身はもう全てを出し尽くしていて、「これ以上、代表で出ることはないな」って思っていたので。もう少し頑張ればW杯のピッチに立てたとか、そんなことも思いません。
なので「やっぱりあの人たちすごいな」って、改めて思いました。あんなすごいメンバーと、北京五輪で一緒に戦えて本当に良かったなって、心の底から思います。
ー先日、日本代表が2019年のフランスW杯出場を決めました。なでしこジャパンの先輩として、何かメッセージはありますか?
原:厳しい戦いが続きましたが、本当によくW杯の切符を勝ち取ってくれたと思います。これからは目の前の大会、目の前の一戦に全力で臨んでほしいです。その先にW杯での優勝や、2020年の東京五輪が見えてくると思うので。なので一つひとつ着実に結果を出していってほしいと思います。
<インタビュー第3回はこちら>
<取材協力>
◆FC町田ゼルビアレディース