
英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.12『ワールドカップから振り返るスパイクシェア歴』
最近は選手よりもむしろレフリーのシューズに目が行ってしまうのですが、かろうじて昔の名品スパイクを目にすることがあります。アディダス・コパムンディアル(コパムン)は多くの往年の名選手が好んだ名品で、現在も製造されています。最近は審判も新しいモデルを使う方が多いようですが、ロシア大会開幕戦の主審の方はコパムンを履いていました(図1左)。

(スパイクブログ始めました。https://maradonaboots.com/)まず、北摂地方震源の地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げます。 私は実家が茨木市にあり、早い復旧と、余震がおさまることを願うばかりです。
今回は予定を変更して、今をときめくスパイクメーカーの昔のことについて書かせていただきます。
さて、連日熱戦が続くW杯ですが、今大会の多くの審判がスペシャルなコパムンを履いているのをお気づきの方も多いと思います。 審判のみならず、監督・コーチ陣の練習中の姿も気になりますが、レーヴ監督は名前、国旗入りコパムンをご愛用です。電撃就任したイエロ監督も早速コパムンを履いて指揮しておられます(図1)。
図1 ロシア大会の審判が使用している、大会ロゴなどが記された黒いコパムン。
デビューした82年大会以降10回目の大会を記念して登場したとのことです。モデル名が金文字表記も珍しいと思います(写真左から2番目。現行モデルは銀文字)。
ソールは黒スタッドではなく、白のようです。普通のコパムンを履かれている審判もおられます。コパムン=審判用にされるのは複雑ですが、ぜひとも発売してほしいものです。
レーヴ監督はコーチ時代(04年)から今大会までコパムンを履いていますが、一時期(12年頃)は違うモデルも使ったことがあります。
80年代後半から、アディダス、プーマ以外のメーカーのスパイクを履く選手が国際大会でも増えてきました。日本代表がW杯に出場する以前に、メイドインジャパンのスパイクを世界の名選手が使うようになりました。
ミズノについてはいずれ書きたいと思いますが、アシックスのスパイクは79年ワールドユースや80年EUROでも使用する外国チームがありましたが、それ以降、国際大会で使用する選手がいない時期が数年続いたと思います。
80年代の終わり頃にイタリア代表クラスの選手がアシックスを使用するようになり、88年EUROではバレージ選手やビアリ選手が使用していました。
しかし、ビアリ選手はどうやらコパムンをアシックスに見えるようにしていたようです(図2左)。
これはインスタグラムのフォロワーの方に教えていただきました。それまでまったく気づきませんでしたが、確かにうまくできています。
また、最近イタリア代表監督になられたマンチーニ選手や、スウェーデン代表のテルン選手もコパムンをプーマに見えるようにしていたようです。そうまでして使われたのはやはり名品たる所以かと思います。
図2 88年EUROのビアリ選手(左)、マンチーニ選手(中央)、90年W杯のテルン選手。
この頃、アシックス、プーマも黒スタッドの固定式モデルはあったと思いますが、ディテールはコパムンのようです。
マンチーニ選手のヒモのしばり方はアルゼンチン方式のようですが、イタリア選手には珍しいような気がします。右のテルン選手は3本線がかすかに見える気がします。
さて、ここからが今回の本題ですが、確固たる定番スパイクがあった一方で、11話でご紹介した北アイルランド代表など、当時新進気鋭(?)メーカーのスパイクを使うチームもあり、デンマーク代表もその一つでした。
84年EUROから国際舞台に登場したデンマーク代表ですが、自国ブランドでもあるヒュンメル製ユニフォームも当時は珍しく、スパイクもヒュンメル、ナイキ、パトリック、ポニーなどを使う選手が多く、むしろ2大メーカーユーザーが少なかったと思います(図3)。

図3 84年EURO予選ぐらいのデンマーク代表。当時は珍しいメーカーのスパイクを履く選手が多かったと思います。今大会のデンマーク代表医療スタッフはヒュンメルスパイクを履いています(右上)。一番右端の小柄なシモンセン選手はプーマ・トレロを履いていたようです。
パトリックのサッカースパイクは現在製造されているのかは存じ上げませんが、何といってもプラティニ選手が履いていたことで有名です。
しかし、W杯で使用していた名選手ですと、イングランドのキーガン選手(図4左。ユニフォームがアドミラル)やデンマークのラウドルップ(兄)選手(図4右)が思い浮かびます。右端は弟のブライアン・ラウドルップ選手ですが、イケメン兄弟ですね。個人的に知らなかったのですが、ブライアン選手はアシックスをご愛用でした。
ご存知の通り、ラウドルップ(兄)選手はヴィッセル神戸でも活躍されましたが、ユベントス、バルセロナ、レアルなどビッククラブを渡り歩き、クラブでも代表でも一貫してパトリックをご使用だったと思います(代表デビュー時はポニー)。
バルサから日本へなんて、もうないと思っていましたが、W杯後のJリーグが一層楽しみになりました。
図4 パトリックを履く82年W杯のキーガン選手(イングランド)とミカエル・ラウドルップ選手(96年EURO)、右端は弟のブライアン選手。
シモンセン選手、キーガン選手はバロンドール受賞者ですが、ケガなどでW杯では目立った活躍はできませんでした。しかし、わずかではありますが出場はしています。80年代は状態が万全ではなくても、名選手に敬意を払って最後に晴れ舞台に立たす感じだったと思います。やはり古き良き時代だったのでしょうか。
さて、今回の大会に限らず、近年のサッカースパイクでもっともシェアが高いのはナイキだと思います。
しかし、80年代でナイキを使っている選手はかなり少なく、前述の通り、デンマーク代表は80年代前半からナイキのスパイクを履く選手がいましたが、広告塔のお一人がエルケーア・ラルセン選手でした(図5)。
W杯には縁がなかったウェールズ代表のラッシュ選手とともに、よく広告に登場していました。
エルケーア選手はほぼ間違いなくナイキのスパイクで国際試合もプレーしていましたが、86年のW杯はコパムンらしき固定式を履いていました。 図5は両方ほぼ同じ写真ですが、ナイキの広告はソールをうまく改良して作成されています。
図5 86年W杯のエルケーア選手。この頃から各社スパイクのソールが複雑かつ派手になってきたと思います。
日本でいち早くナイキを使い始めたのはラモス選手でした。黄色ラインのアシックスが思い出されますが、88年から90年代前半はナイキをご愛用でした(図6)。
図6 88年頃の読売クラブ・ラモス選手と加藤久選手。
この頃から、ラモス選手はスパイクをアシックスからナイキに変更され、加藤選手もミズノ(ランバード)を使い始めました。
ラモス選手のスパイクはまだプロトタイプだったのか、ラインが取れかけているような・・・(左)。右は取れてしまったのでしょうか? 最後はスニーカーで人気のニューバランスですが、サッカースパイクも80年代に発売していました(かなり重厚な造りでした)。
しかし、愛用する選手は多くはありませんでした。イングランド製ということで、ロブソン選手は80年代初めから、90年代中頃の引退するまでずっとご愛用でした。また、同僚のウィルキンス選手も一時期履いていました(図7)。
図7 長らくマンUの背番号7で、代表の主将も務めたブライアン・ロブソン選手(名前がカッコイイ)は、デビュー時はアディダスですが、81年頃からニューバランスのスパイクを使い始め、96年に引退する時(ミドルスブラに在籍)まで、一貫して履き続けていました。
右はロブソン選手同様、代表の中軸だったのウィルキンス選手。86年W杯の頃はニューバランスでしたが、パトリック(右端)を履いていることも多かったようです。残念ながら61歳の若さで今年亡くなられました。
スパイクメーカーにとってもW杯は晴れ舞台だと思います。最近の事情はよくわかりませんが、昔に比べてスパイクメーカー数については、随分絞られているような気がします。
日本チームはもしかしたら出場国中最も多様なメーカーのスパイクを使用しているかもしれません(アディダス、プーマ、ナイキ、アンブロ、ミズノ、アシックス)。
今後の躍進を期待しつつ、そのあたりについても楽しみに見たいと思います。
次回は往年の定番スパイク、コパムンディアルの歴史について書きたいと思います。 (写真は当時のサッカーマガジン、イレブン及びゲッティイメージズなどより引用)
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『神に愛された西独製サッカースパイク』
80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。
今回は予定を変更して、今をときめくスパイクメーカーの昔のことについて書かせていただきます。
さて、連日熱戦が続くW杯ですが、今大会の多くの審判がスペシャルなコパムンを履いているのをお気づきの方も多いと思います。 審判のみならず、監督・コーチ陣の練習中の姿も気になりますが、レーヴ監督は名前、国旗入りコパムンをご愛用です。電撃就任したイエロ監督も早速コパムンを履いて指揮しておられます(図1)。

デビューした82年大会以降10回目の大会を記念して登場したとのことです。モデル名が金文字表記も珍しいと思います(写真左から2番目。現行モデルは銀文字)。
ソールは黒スタッドではなく、白のようです。普通のコパムンを履かれている審判もおられます。コパムン=審判用にされるのは複雑ですが、ぜひとも発売してほしいものです。
レーヴ監督はコーチ時代(04年)から今大会までコパムンを履いていますが、一時期(12年頃)は違うモデルも使ったことがあります。
80年代後半から、アディダス、プーマ以外のメーカーのスパイクを履く選手が国際大会でも増えてきました。日本代表がW杯に出場する以前に、メイドインジャパンのスパイクを世界の名選手が使うようになりました。
ミズノについてはいずれ書きたいと思いますが、アシックスのスパイクは79年ワールドユースや80年EUROでも使用する外国チームがありましたが、それ以降、国際大会で使用する選手がいない時期が数年続いたと思います。
80年代の終わり頃にイタリア代表クラスの選手がアシックスを使用するようになり、88年EUROではバレージ選手やビアリ選手が使用していました。
しかし、ビアリ選手はどうやらコパムンをアシックスに見えるようにしていたようです(図2左)。
これはインスタグラムのフォロワーの方に教えていただきました。それまでまったく気づきませんでしたが、確かにうまくできています。
また、最近イタリア代表監督になられたマンチーニ選手や、スウェーデン代表のテルン選手もコパムンをプーマに見えるようにしていたようです。そうまでして使われたのはやはり名品たる所以かと思います。

この頃、アシックス、プーマも黒スタッドの固定式モデルはあったと思いますが、ディテールはコパムンのようです。
マンチーニ選手のヒモのしばり方はアルゼンチン方式のようですが、イタリア選手には珍しいような気がします。右のテルン選手は3本線がかすかに見える気がします。
さて、ここからが今回の本題ですが、確固たる定番スパイクがあった一方で、11話でご紹介した北アイルランド代表など、当時新進気鋭(?)メーカーのスパイクを使うチームもあり、デンマーク代表もその一つでした。
84年EUROから国際舞台に登場したデンマーク代表ですが、自国ブランドでもあるヒュンメル製ユニフォームも当時は珍しく、スパイクもヒュンメル、ナイキ、パトリック、ポニーなどを使う選手が多く、むしろ2大メーカーユーザーが少なかったと思います(図3)。

図3 84年EURO予選ぐらいのデンマーク代表。当時は珍しいメーカーのスパイクを履く選手が多かったと思います。今大会のデンマーク代表医療スタッフはヒュンメルスパイクを履いています(右上)。一番右端の小柄なシモンセン選手はプーマ・トレロを履いていたようです。
パトリックのサッカースパイクは現在製造されているのかは存じ上げませんが、何といってもプラティニ選手が履いていたことで有名です。
しかし、W杯で使用していた名選手ですと、イングランドのキーガン選手(図4左。ユニフォームがアドミラル)やデンマークのラウドルップ(兄)選手(図4右)が思い浮かびます。右端は弟のブライアン・ラウドルップ選手ですが、イケメン兄弟ですね。個人的に知らなかったのですが、ブライアン選手はアシックスをご愛用でした。
ご存知の通り、ラウドルップ(兄)選手はヴィッセル神戸でも活躍されましたが、ユベントス、バルセロナ、レアルなどビッククラブを渡り歩き、クラブでも代表でも一貫してパトリックをご使用だったと思います(代表デビュー時はポニー)。
バルサから日本へなんて、もうないと思っていましたが、W杯後のJリーグが一層楽しみになりました。

シモンセン選手、キーガン選手はバロンドール受賞者ですが、ケガなどでW杯では目立った活躍はできませんでした。しかし、わずかではありますが出場はしています。80年代は状態が万全ではなくても、名選手に敬意を払って最後に晴れ舞台に立たす感じだったと思います。やはり古き良き時代だったのでしょうか。
さて、今回の大会に限らず、近年のサッカースパイクでもっともシェアが高いのはナイキだと思います。
しかし、80年代でナイキを使っている選手はかなり少なく、前述の通り、デンマーク代表は80年代前半からナイキのスパイクを履く選手がいましたが、広告塔のお一人がエルケーア・ラルセン選手でした(図5)。
W杯には縁がなかったウェールズ代表のラッシュ選手とともに、よく広告に登場していました。
エルケーア選手はほぼ間違いなくナイキのスパイクで国際試合もプレーしていましたが、86年のW杯はコパムンらしき固定式を履いていました。 図5は両方ほぼ同じ写真ですが、ナイキの広告はソールをうまく改良して作成されています。

図5 86年W杯のエルケーア選手。この頃から各社スパイクのソールが複雑かつ派手になってきたと思います。
日本でいち早くナイキを使い始めたのはラモス選手でした。黄色ラインのアシックスが思い出されますが、88年から90年代前半はナイキをご愛用でした(図6)。

この頃から、ラモス選手はスパイクをアシックスからナイキに変更され、加藤選手もミズノ(ランバード)を使い始めました。
ラモス選手のスパイクはまだプロトタイプだったのか、ラインが取れかけているような・・・(左)。右は取れてしまったのでしょうか? 最後はスニーカーで人気のニューバランスですが、サッカースパイクも80年代に発売していました(かなり重厚な造りでした)。
しかし、愛用する選手は多くはありませんでした。イングランド製ということで、ロブソン選手は80年代初めから、90年代中頃の引退するまでずっとご愛用でした。また、同僚のウィルキンス選手も一時期履いていました(図7)。

右はロブソン選手同様、代表の中軸だったのウィルキンス選手。86年W杯の頃はニューバランスでしたが、パトリック(右端)を履いていることも多かったようです。残念ながら61歳の若さで今年亡くなられました。
スパイクメーカーにとってもW杯は晴れ舞台だと思います。最近の事情はよくわかりませんが、昔に比べてスパイクメーカー数については、随分絞られているような気がします。
日本チームはもしかしたら出場国中最も多様なメーカーのスパイクを使用しているかもしれません(アディダス、プーマ、ナイキ、アンブロ、ミズノ、アシックス)。
今後の躍進を期待しつつ、そのあたりについても楽しみに見たいと思います。
次回は往年の定番スパイク、コパムンディアルの歴史について書きたいと思います。 (写真は当時のサッカーマガジン、イレブン及びゲッティイメージズなどより引用)
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『神に愛された西独製サッカースパイク』
80年代に数々の伝説を生んだサッカー界のスーパースターを足元から考察した論考。