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英雄たちが愛した歴史的スパイクVOL.69 「コパムンディアルのデビュー当時について編」

今やサッカースパイク界の伝説の名品・アディダス・コパムンディアルですが、40年近く作られ続けていると、その登場時のことはずいぶんあやふやになっているようなので、それなりにちゃんとした解説を残しておきたいと思います。

Icon 29634314 1815368455432881 1085668874 o 小西博昭 | 2022/08/03
いまさらコパムンディアル(コパムン)のスペックやすばらしさについて、あらためて語る必要はないと思います。ただ、昨今ではレフェリーか、一般シニアプレーヤーぐらいしか履いていない感じでしたが、まさに今現在、バリバリのトッププレーヤーでコパムンを愛用しているのが、浦和レッズの元デンマーク代表・ショルツ選手です(巻頭画像)。

他の選手がカラフルな最新モデルでプレーしている中、すこし異様にも見えますが、特に大ベテランという年齢でもないショルツ選手がコパムンを選ばれている理由をぜひ教えてほしいものです。
最近、スター軍団パリ・サンジェルマンが浦和と対戦しましたが、残念ながらショルツ選手は欠場していました(図1)。 コパムンを履いたショルツ選手が、世界最高峰の攻撃陣と対峙する姿を見れなかったのが残念でした。

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図1 ここにショルツ選手がいたらなあ…。今ではレフェリーもコパムン使用者は少ないようです。  

さて、コパムンについてはキングギアでも何度か書かせていただきましたが、現行モデルは94年ごろに改良されて、現在までほとんど変化なく生産されています。

それ以前、特にデビュー時(82年ごろ)の西ドイツ製だったころは、いろいろ細かい変化があったことはこちらに紹介いたしました。 ただ、どうも登場した年については誤解があるようで、海外では「1979年」となっている場合が多いようです(図2

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図2 「Released」は発売という意味もあるようですが、1979年にアディダスのカンガルー革の固定式はまだなかったと思います。  

ウィキペディアにも1979年Releasedとなっており、引用先はこちらとのことです。
現行版タイプになった94年からですら、もう30年近く経っていますので、それ以前のことを知る人も少ないと思いますが、やはり間違っていることは正さないといけません。
最近、海外のスパイクマニアがこちらの記事を書いており、下記のような内容がありました。

「1979年に発売され、1982年のワールドカップスペイン大会のためにデザインされたこのシューズは、各代表チームのほとんどの選手が使用し、イタリアが世界チャンピオンに輝いた決勝戦のゴールの一つも、コパ・ムンディアルのマルコ・タルデリが決めた」
 

82年大会のタルデリ選手は全試合取替え式のアディスーパーソールの旧型「ワールドカップ」を使用していましたが、当時のスパイクについて詳しくない人がスペイン大会の画像を見たら、確かに多くの選手がコパムンを履いているように見えるのかもしれません(図3)。

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図3 82年W杯決勝のタルデリ選手(イタリア)。この大会のアディダス使用選手で取替え式スパイク使用率は8割以上だったと思います。  

当時を知らない人が79年にコパムンがデビューしたと勘違いしてしまう大きな理由として、シュータンのマークが青い布地になったことが考えられます。

75年ごろにアディダス固定式のフラッグシップモデルの「ワールドカップウィナー」が発売されましたが、79年ごろに「ワールドカップ78」と同じシュータンマークになりました(図4)。
さらに、80年ごろに、アッパーはウィナーと同じで、新開発の「2マテリアルソール」を採用した「スーパーカップ」がデビューし、日本では釜本選手が愛用していました。 たぶん、コパムンデビュー前のウィナーやスーパーカップの存在を知らない人は、これらをコパムンと間違えてしまうと思います。

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図4 ワールドカップウィナー(右)とスーパーカップのレプリカモデル左)。実際のスーパーカップは側面に「SUPER CUP」と印字され、スタッドは12本の黒色です。  

今では実にシンプルな作りのコパムンディアルですが、つま先の曲線の二重ステッチが横に入っているパターンは当時とても珍しく、おそらくそれなりに手の込んだ技術だったと思われます(図5)。

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 図5 スーパーカップレプリカ(左)と初期型コパムン。スーパーカップ、ウィナーはアディカーフ革で、繰返しですが、コパムンは当時アディダスの固定式では初のカンガルー革アッパーでした。

確かにコパムンは82年大会でデビューしたと思いますが、実際に使用していた選手はごくわずかだったと思います。
そもそも取替え式スパイク使用選手が圧倒的に多い大会で、アディダス使用選手の場合、特にそれが顕著でした。3マテリアルソールの新型ワールドカップデビューした大会でしたが、図3のタルデリ選手のように、旧型ワールドカップがまだまだ大人気だったようです。


私が調べた限り、アディダスの黒スタッドの固定式を履いている選手がいたチームは、ペルー、ホンジュラス、エルサルバドル、ニュージーランド、チェコ、ハンガリー、イタリア、ブラジルでした。 いずれもチーム内では少数派でしたが、ペルー代表は試合によっては複数の選手が黒スタッドモデルを履いていました(図6)。

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図6 82年W杯1次リーグ・ペルー対カメルーン戦。同じ画像にアディダスの黒スタッドの固定式スパイクを履いた選手が二人写っているのは珍しい大会でした。  

 ただ、黒スタッドのモデルがすべてコパムンだったかと言うと、当時の画像の解像度では判断するのがとても難しいです。 図5のように、スーパーカップとコパムンは革以外にも、つま先のステッチやかかとのつくり、3本線の太さなど違う点がいくつかありますが、試合中の選手の画像では正直みな同じに見えます。

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図7 ペルー代表クエト選手。かかとの作りからするとコパムンでしょうか?  

優勝したイタリア代表チームもカブリーニ選手(図8)とオリアリ選手(図9)が黒スタッドモデルを履いていました。

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図8 2次リーグブラジル戦のカブリーニ選手。この試合のみ黒スタッドモデルを使用したようです。側面の字体やかかとの作りはスーパーカップに見えます。

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図9 決勝西ドイツ戦のオリアリ選手。この試合のみ黒スタッドモデルを使用していましたが、途中で取替え式に履き替えたようです。こちらはどちらかと言えばコパムンぽいです。

ちなみに決勝では主審も黒スタッドモデルでした(図10)。

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図10 決勝戦の主審のモデルは?スーパーカップかな?  

ちなみに図10のリトバルスキー選手は新型と旧型のワールドカップ(取替え式)を併用していました。西ドイツ選手で黒スタッド使用者は皆無で、固定式愛用者(ブライトナー選手、ルムメニゲ選手、ミュラー選手)はいずれも白一色のアディパンソールモデルでした(こちらをご参照ください)。
 

スーパーカップは生産期間が短かったため、今では幻のモデルですが、海外ではもっとややこしいモデルが存在したようです(図11)。

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図11 イタリアのコレクターが所有するスーパーカップ。日本で販売されていたアディカーフ革モデルとは明らかに異なる仕様で、ほぼコパムンにそっくりです。これが82年大会で使われていたら、本当にコパムンと見分けがつかないでしょうね。  

私にとってコパムンはとても大好きなモデルで、82年W杯でデビューしたことに異論はありません。 ただ、そのデビュー時のスパイク事情はとても混沌としており、それほど大々的に登場して、初めから絶賛されて多くの選手に使われたわけではありませんでした。
おそらく、昔のモデルと併用されつつ、徐々にトップ選手たちにその良さが浸透していき、固定式モデルの定番になったと思われます。

日本のアディダスファンは正しい歴史を発信していますので、私もこちらの年表に賛同したいと思います。


(写真はゲキサカ、サッカーマガジン、アフロ及びゲッティイメージズなどから転載させていただきました)