原口元気が語るギア vol.3「サッカー選手が唯一選べるものがスパイク。だから最高のものを履きたい」
最終回となる今回は、前回の続きから。インゴルシュタット戦の試合前に考え、判断したプロセスを原口元気が明かした。そして、ギアの進化がパフォーマンスを引き上げていることを実感している、そのメカニズムを具体的に説明していくことになった。
ミムラユウスケ
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2016/10/18
<インタビュー第1回はこちら>
<インタビュー第2回はこちら>
――アウェーでのインゴルシュタット戦で、固定式を履くか、『MIX』を履くのかについて試合開始直前まで悩んでいたのはなぜでしょう?
原口「あのスタジアムは少し、芝が深かったこともあって。ヘルタのホームであるオリンピア・シュタディオンなら感覚がつかめますけど、どちらの方がいいのかなぁと考えながらアップして、最終的には固定式でも出来るかなぁと思って決めたんです」
――その決断は2アシストを記録して、ドイツメディアからも絶賛されたことからも大成功でしたね。
原口「やっぱり、出来ることなら固定式でやりたいから」
――先ほども話していたように、切り返したときの感覚を大切にしているからですか?
原口「そうですね。あとは、ボールタッチの感覚や試合後の疲れも違うので」
――日本代表の試合が日本で行なわれる際にはどちらを使用するのですか?
原口「日本でやるときは、固定式を履きますね。ただ、今回のスパイクは、スタッドの部分がかなり進化していて、固定式でもけっこうすべらなくなったんですよね。開幕2試合目のときに固定式を履いたのは、それもあったからかな。今までのタイプだったら、『MIX』を履いていたと思うんですよね。(酒井)宏樹も同じスパイクを履いているんですけど、9月の代表戦のときに、『今までのものと比べて、ひっかかり具合が違うから、ヨーロッパに帰ってからもしばらく固定式で行けそうだな』と話していたくらいだったので」
――今までのものとそんなに違いますか?
原口「まず、素材が変わったし、この(足の甲からつま先にかけて付属しているラインによる)段差によって、ボールタッチが断然しやすくなった。それは、試合で結果的にも表れていますしね」
――今シーズンに入ってからパフォーマンスが向上しているのは、時間をかけて取り組んできたトレーニングの効果もあるのでしょうが、ギアの進化による恩恵もあるのですね?
原口「今までは、スプリントしやすい、走りやすい、というのがマーキュリアル(ヴェイパー)だった。一方で、ボールタッチの面ではティエンポのほうが優れている感じがしていて」
――実際に、ナイキのスパイクを履きだした当時はその2つのどちらかで迷っていたわけですもんね……。
原口「スプリントなら、マーキュリアル(ヴェイパー)だというのが理由だったので。今はボールタッチのところに進化を感じる。“良いとこどり”をしてくれているというか。もう1,2年早く発売して欲しかったくらい(笑)」
――話は戻りますが、2アシストを記録したインゴルシュタット戦は、酒井宏樹選手と固定式のスパイクの感覚について話した代表戦の直後の試合でしたしもんね?
原口「そうなんですよね。あとは、季節だけはなくて、天気予報も気にしていて」
――天気予報まで、ですか?
原口「試合の前日に雨が降ったりしたら、やっぱり、ぬかるんでしまうし。だから、天気やキックオフまで気にして、どちらがいいか考えて、アップのときに試してみて、決めます」
――細部にまでにこだわっているのですね?
原口「やっぱり、サッカー選手が唯一選べるものがスパイクだから。そこに違和感があるのはストレスになるだろうし、最高のものを履きたいという気持ちが強いんですよね」
――では、最後にスパイクを選ぶ人へのアドバイスをもえらますか?
原口「自分のテンションが上がるものを選ぶといいと思います。今のスパイクは、それを履いたら怪我をしてしまうようなスパイクはほとんどないと思います。そういう時代だからこそ、『カッコイイな』とか、『これを履いてサッカーをしたいな』と思えるようなものを手にとってみたらいいのかなと」
――サッカーをするのが楽しみだと思えるようなスパイクを履くのが一番だと?
原口「そうですね。それが一番だと思いますよ!」
インタビューが終わり、写真撮影に移ると、「スパイクを、さわってみます?」と原口はこちらにスパイクを差し出してきた。そのスパイクについて、雄弁に語る様子は、スパイクを買ってもらったばかりのサッカー少年のようだった。そしてもちろん、そのこだわりが原口の活躍を支えているのだ。
【プロフィール】
原口元気(はらぐちげんき) 1991年、埼玉県生まれ。江南南サッカー少年団、浦和レッズジュニアユース、同ユースを経て、2008年に二種登録選手として公式戦デビューを果たす。2009年にクラブ史上最年少で契約を結び、浦和レッズの一員として2014年までプレー。2104シーズンからはドイツ・ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンで活躍中(2016年時点)
文・写真 ミムラユウスケ/プレー写真 清水和良、写真編集 榎本貴浩
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――アウェーでのインゴルシュタット戦で、固定式を履くか、『MIX』を履くのかについて試合開始直前まで悩んでいたのはなぜでしょう?
原口「あのスタジアムは少し、芝が深かったこともあって。ヘルタのホームであるオリンピア・シュタディオンなら感覚がつかめますけど、どちらの方がいいのかなぁと考えながらアップして、最終的には固定式でも出来るかなぁと思って決めたんです」
――その決断は2アシストを記録して、ドイツメディアからも絶賛されたことからも大成功でしたね。
原口「やっぱり、出来ることなら固定式でやりたいから」
――先ほども話していたように、切り返したときの感覚を大切にしているからですか?
原口「そうですね。あとは、ボールタッチの感覚や試合後の疲れも違うので」
――日本代表の試合が日本で行なわれる際にはどちらを使用するのですか?
原口「日本でやるときは、固定式を履きますね。ただ、今回のスパイクは、スタッドの部分がかなり進化していて、固定式でもけっこうすべらなくなったんですよね。開幕2試合目のときに固定式を履いたのは、それもあったからかな。今までのタイプだったら、『MIX』を履いていたと思うんですよね。(酒井)宏樹も同じスパイクを履いているんですけど、9月の代表戦のときに、『今までのものと比べて、ひっかかり具合が違うから、ヨーロッパに帰ってからもしばらく固定式で行けそうだな』と話していたくらいだったので」
――今までのものとそんなに違いますか?
原口「まず、素材が変わったし、この(足の甲からつま先にかけて付属しているラインによる)段差によって、ボールタッチが断然しやすくなった。それは、試合で結果的にも表れていますしね」
――今シーズンに入ってからパフォーマンスが向上しているのは、時間をかけて取り組んできたトレーニングの効果もあるのでしょうが、ギアの進化による恩恵もあるのですね?
原口「今までは、スプリントしやすい、走りやすい、というのがマーキュリアル(ヴェイパー)だった。一方で、ボールタッチの面ではティエンポのほうが優れている感じがしていて」
――実際に、ナイキのスパイクを履きだした当時はその2つのどちらかで迷っていたわけですもんね……。
原口「スプリントなら、マーキュリアル(ヴェイパー)だというのが理由だったので。今はボールタッチのところに進化を感じる。“良いとこどり”をしてくれているというか。もう1,2年早く発売して欲しかったくらい(笑)」
――話は戻りますが、2アシストを記録したインゴルシュタット戦は、酒井宏樹選手と固定式のスパイクの感覚について話した代表戦の直後の試合でしたしもんね?
原口「そうなんですよね。あとは、季節だけはなくて、天気予報も気にしていて」
――天気予報まで、ですか?
原口「試合の前日に雨が降ったりしたら、やっぱり、ぬかるんでしまうし。だから、天気やキックオフまで気にして、どちらがいいか考えて、アップのときに試してみて、決めます」
――細部にまでにこだわっているのですね?
原口「やっぱり、サッカー選手が唯一選べるものがスパイクだから。そこに違和感があるのはストレスになるだろうし、最高のものを履きたいという気持ちが強いんですよね」
――では、最後にスパイクを選ぶ人へのアドバイスをもえらますか?
原口「自分のテンションが上がるものを選ぶといいと思います。今のスパイクは、それを履いたら怪我をしてしまうようなスパイクはほとんどないと思います。そういう時代だからこそ、『カッコイイな』とか、『これを履いてサッカーをしたいな』と思えるようなものを手にとってみたらいいのかなと」
――サッカーをするのが楽しみだと思えるようなスパイクを履くのが一番だと?
原口「そうですね。それが一番だと思いますよ!」
インタビューが終わり、写真撮影に移ると、「スパイクを、さわってみます?」と原口はこちらにスパイクを差し出してきた。そのスパイクについて、雄弁に語る様子は、スパイクを買ってもらったばかりのサッカー少年のようだった。そしてもちろん、そのこだわりが原口の活躍を支えているのだ。
【プロフィール】
原口元気(はらぐちげんき) 1991年、埼玉県生まれ。江南南サッカー少年団、浦和レッズジュニアユース、同ユースを経て、2008年に二種登録選手として公式戦デビューを果たす。2009年にクラブ史上最年少で契約を結び、浦和レッズの一員として2014年までプレー。2104シーズンからはドイツ・ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンで活躍中(2016年時点)
文・写真 ミムラユウスケ/プレー写真 清水和良、写真編集 榎本貴浩
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