谷晃生、東京五輪からJ1最少失点へ──勝負を分ける「チャンスを掴む準備」
「1試合で人生は変わる。」東京五輪の舞台でスタメンの座を掴み、2024年にはJ1初挑戦のFC町田ゼルビアをリーグ最少失点へ導いた谷晃生。その裏には、「チャンスを掴むための準備」と「這い上がる力」があった。森山佳郎監督から学んだ言葉、海外での苦悩、そしてオリンピックで得た自信——。ピッチ内外で成長を続ける守護神の、「強くなるための哲学」に迫る。※トップ画像撮影/松川李香(ヒゲ企画)

「ピッチ外でのリフレッシュが、良いパフォーマンスにつながる」
――ピッチでのパフォーマンスを向上させることはもちろんですが、ピッチ外でサッカーのために取り入れていることはありますか?
サッカー選手にもいろんなタイプがいて、24時間サッカーのことを考える人もいれば、オフをしっかり取る人もいます。僕はどちらかというと、サッカーを10分でも20分でも忘れる時間を作ることが大事 だと考えるタイプですね。
例えば、好きなドラマや映画を観る時間を作ったり。そういう時間を持つことでリフレッシュできると思っています。最近は漫画もよく読んでいて、『キングダム』が特に好きですね。
――練習の合間にも、そういった息抜きを意識しているんですね。
もちろん、トレーニングにパーソナルメニューを加えたりすることもありますが、それとは別に、1日のどこかでサッカー以外のことを考えられる時間を作るのは大事かなと。
「新しいことを知りたい」──探求心が強い性格
――何か趣味はありますか?
趣味は少ないんですが、コーヒーは好きで、自分で豆を挽いて淹れたりします。あと、カメラも興味があって、撮影を趣味にしようとカメラを買ったんです。年末にヨーロッパへ行った時に、少し風景写真を撮ったりもしました。
――ヨーロッパではどんな写真を撮ったんですか?
ベルギーにいた時に、街並みやサッカースタジアムを撮影しました。 やっぱり日本とは雰囲気が全然違って。石畳の道や歴史を感じる建物がすごく印象的でしたね。
ただ、どちらかというと僕はアクティブに外に出るタイプではないので、まだ「これだ!」という趣味は模索中です(笑)。
――話していて思ったのですが、谷選手って研究者タイプというか、探求心が強いですよね?

そうですね。好奇心や探求心は、子どもの頃から自然と湧いていました。
――幼少期に、それにつながるような原体験はありますか?
特にこれといった出来事はないですが、例えば、友達が何か新しいことを話していたり、ゲームや遊びでも「自分も知りたい、やってみたい」と思うことが多かったですね。
どんなことでも実際に経験した上で話せるのが一番いい。 少しでもかじったことがあるだけでも、自分の知識として蓄積されますし、それがプラスになることが多い。だから、気になったことはとりあえず調べたり、試してみたり、取り入れてみたりするのが好きですね。
「プロになろうと決めたのは、ガンバ大阪の下部組織に入ってから」
――サッカー選手としての道を本格的に意識し始めたのはいつですか?小学生の頃から「サッカーでやっていくぞ」と思っていましたか?
いや、全然そんなことはなくて(笑)。僕は兄の影響でサッカーを始めたんですが、最初は週2回の練習に参加して、週末に試合があるかないかくらいの感じでした。 今の子どもたちには考えられないくらい、のびのびとやっていましたね。
――最初からゴールキーパーをやっていたんですか?
いや、それも違って、最初はフィールドでプレーしていました。例えば、大会に出たときも、ガンバのコーチや他の指導者の方々が見に来た試合では、フィールドの選手としてプレーすることもありました。もちろん、トレセン(選抜チーム)ではキーパーとして選ばれていましたが、所属チームの最後の大会はフィールドで出場したこともありました。
本格的に「プロを目指そう」と思ったのは、中学生になってガンバ大阪の下部組織に入ってからです。
「這い上がる覚悟」──逆境を乗り越える力
――そこから現在のように日本を代表する選手になれたのは、本当に一握りの確率だと思います。その中で、谷選手がここまで来られた要因は?

正直、難しいですね。僕より優れた選手やゴールキーパーは、日本の中にも絶対にいると思います。でも、そういう選手が実際に大事な試合で力を発揮できるかどうか、そこで違いが生まれるのかなと。
あとは「巡り合わせ」もあると思います。僕自身、本当に素晴らしいコーチやチームに出会えたことは大きいですし、その環境に助けられた部分も多いです。運が良かったなと感じることもあります。
でも、どんな時でも「楽しむ」という気持ちは忘れなかった。そして、「また奪い返してやろう」「もう一度這い上がろう」という気持ちは常に持ち続けていました。
この「リバウンドメンタリティ」こそが、自分の中でブレない軸なのかもしれません。
「気持ちには引力がある」──森山佳郎監督の言葉
――そうしたメンタリティに影響を与えた指導者や言葉はありますか?
いくつかありますが、特に印象的なのは、アンダー世代の日本代表で指導を受けた森山佳郎監督(現・ベガルタ仙台監督)の言葉です。
森山さんがよく言っていたのが、「気持ちには引力がある」という言葉でした。
――どういう意味ですか?
例えば、「勝ちたい」と強く思えば、それが自分を勝利に引き寄せる。目標を強く意識すれば、それに向かって行動や姿勢も自然と変わっていく。
「自分がどうなりたいか」「今日の試合で何を成し遂げたいか」「今年どういうシーズンにしたいか」──そういう思いが強ければ強いほど、結果もそれに近づいていくんじゃないかと。
森山さんはそういう話をよくされていましたし、僕自身もその言葉がすごく腑に落ちました。サッカーに限らず、人生全般に通じる考え方だなと。
「五輪代表のスタメンは0試合」──それでも諦めなかった理由
――東京五輪では正ゴールキーパーとして出場されましたが、やはりその舞台に立てたのも「思いの強さ」が引き寄せた部分があるのでしょうか?
そうですね。正直、自分があの舞台に立っていたのが今でも少し不思議な感覚なんですけど(笑)。
実は、オリンピック世代の代表には2017年から選ばれていましたが、それまで一度もスタメンで試合に出たことがなかったんです。
――ずっとベンチだった?
はい。しかも、僕の世代は次のオリンピックがなくて、一番下の学年でした。さらに、大会自体もコロナの影響で1年延期されて…。
ただ、その延期があったおかげで、J1で試合に出る時間が約1年半あったんです。それが自分にとっては大きなプラスになりました。
――転機になったのは?
オリンピックイヤーの2021年3月に、代表戦で初めてスタメンのチャンスをもらいました。そこでのパフォーマンスが良く、試合にも勝てたことで、次の試合も出場。最終的に3試合連続でスタメン起用されて、本大会の正GKにつながりました。
だから本当に急ピッチで掴んだチャンスという感じでしたが、振り返ると、やっぱり自分の「気持ちの強さ」がそういう流れを引き寄せた部分もあったのかなと思います。
――オリンピックでの経験は、その後のキャリアにどう影響を与えましたか?
オリンピックでの経験が、「這い上がる力」をさらに強くしてくれたと思っています。
それまでは「試合に出られない時期があっても仕方ない」と思うこともありました。でも、五輪では「1試合で人生が変わる」ということを実感しましたし、チャンスを掴むために準備し続けることの大切さを改めて学びました。
試合に出ていないときでも、「絶対に次のチャンスを掴んでやる」という気持ちを持ち続けること。それが結果につながることを、身をもって経験できた大会でしたね。
オリンピックイヤーの2021年3月に、代表戦で初めてスタメンのチャンスをもらいました。そこでのパフォーマンスが良く、試合にも勝てたことで、次の試合も出場。最終的に3試合連続でスタメン起用されて、本大会の正GKにつながりました。
だから本当に急ピッチで掴んだチャンスという感じでしたが、振り返ると、やっぱり自分の「気持ちの強さ」がそういう流れを引き寄せた部分もあったのかなと思います。
――オリンピックでの経験は、その後のキャリアにどう影響を与えましたか?
オリンピックでの経験が、「這い上がる力」をさらに強くしてくれたと思っています。
それまでは「試合に出られない時期があっても仕方ない」と思うこともありました。でも、五輪では「1試合で人生が変わる」ということを実感しましたし、チャンスを掴むために準備し続けることの大切さを改めて学びました。
試合に出ていないときでも、「絶対に次のチャンスを掴んでやる」という気持ちを持ち続けること。それが結果につながることを、身をもって経験できた大会でしたね。
▼谷選手を応援しにスタジアムに行こう!
【試合情報】
日程・4月6日(日)14:00キックオフ
対戦・川崎フロンターレ
場所・町田GIONスタジアム
チケットはこちら(https://www.jleague-ticket.jp/club/mz/)
谷晃生(たに・こうせい)
2000年11月22日生まれ、大阪府出身。ガンバ大阪育成組織から高校3年でトップチームのメンバーとして出場。2020年期限付き移籍した湘南ベルマーレでJ1デビューを果たす。2023年ガンバ大阪からベルギーF C VデンデルE Hへ移籍、2024年からFC町田ゼルビアにてプレーしリーグ最少失点に貢献。2025年から完全移籍。2021年の東京五輪ではフル出場、FIFAワールドカップカタール2022アジア最終予選メンバーにも選出されている。
Photo:Rika Matsukawa