本田泰人が激白!Vol.3「ジーコはまるで大統領のようでした」
サッカーを始めた時から大好きだったジーコがいる鹿島に入り、世界レベルのチームと試合をするなど、貴重な経験をした本田氏のジーコに対する熱い想いとは。
佐久間秀実
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2017/05/16
<vol.1は、こちらから>
<vol.2は、こちらから>
――Jリーグ開幕前に、鹿島でイタリア遠征をしましたよね。
本田:ジーコのツテでイタリアに遠征しました。イタリア代表のカブリーニョが経営するホテルに泊まり、イタリア3部のチーム、ボバン達がいるクロアチア代表、最終日にスキラッチ達がいるインテルと試合が出来たので、手配をしてくれたジーコは本当に流石だなと思いましたね。
――対戦して、どのような印象を持ちましたか?
本田:テレビで見たことある選手ばかりいて、スピーディーな中でもしっかりボールを蹴る、止めるができるレベルなので、凄かったですよ。プレッシャーがない中では、誰でも蹴れるじゃないですか。それを繰り返して練習しないと、動きながらは絶対に出来ない。
動きながらバチッと蹴れるのは、練習を繰り返してきた証です。もちろんスピードや駆け引きも重要ですけど、蹴る、止めるが何よりも大事なんだとイタリア遠征で感じることができて、素晴らしい経験になりました。
――その後、鹿島はブラジルにも行きました。ブラジルでのジーコはいかがでしたか?
本田:またまた凄かったですよ。ジーコは大統領のようでした。フレンドリーマッチで行ったのですが、移動バスの前後を警察の白バイ、車が常時スタンバイしていて、信号が全てストップした道を走って行くんですよね。日本では有り得ないですよ(笑)。
ジーコは前々から凄いとわかっていましたが、ブラジルに行って改めて凄さを実感しました。鹿島に入って、ジーコに出会ってからこそ実現出来たわけですし、そのような人からサッカーを学べたのは、僕の財産となっています。
――ジーコが履いていたスパイクを覚えていますか?
本田:沢山のメーカーの物を履いていたのではと思います。ブラジルの選手は、どのようなスパイクを履いても蹴れる自信があるでしょうし、ジーコもそうだったのでしょう。ジーコも止める、蹴る、ドリブルが本当に上手かったですが、基礎練習を物凄く大切にしていました。
――ジーコは日本代表監督もやりましたよね。
本田:代表監督の時は、日本を代表する選手達の集まりなので、規律などはわかっていて当然という感覚だったはずです。だからシステムだけを決めて、ピッチでプレーするのは選手だからとルールもあまり決めず、ある程度な感じでやっていましたね。
それがマスコミなどから批判をされていましたが、鹿島にいた僕たちからすると「ああ、なるほどな!」と思いましたよ。代表クラスでごちゃごちゃいう必要はないだろうし、選手達を信頼していたからこそでしょうね。ドイツワールドカップの時、やり切った感がある選手は引退しましたしね。
ジーコも選手達に、プライベートも含めて自由にやらせていましたし、試合に出ていた選手達は、思うような結果を残せなくて責任を感じていたはずです。鹿島のような弱小チームを強くするためには、結束を高めることが必要でしたし「ルールを守れ!」と、細かい事まで気にしていたのでしょうね。
――本田さんは、加茂周監督時代に日本代表に選ばれました。デビュー戦はいつでしたか?
本田:26歳の時に代表候補合宿に呼ばれて、正式に選ばれたのは28歳の時でした。1995年のサウジアラビア戦がデビュー戦です。試合前日のミーティングで、監督が自分の名前を忘れていたのには驚きましたよ(笑)。
初めは仕方ないと思いましたけど、代表に定着してから、何度も同じようなことがあったので不思議でしたね。本田って難しい名前じゃないですし、ちゃんと自分を観てくれているのかなと不安でしたよ(笑)
――鹿島ではキャプテンも務めましたね。
本田:25歳の時、ジーコの兄であるエドゥー監督から、ジーコの後継者としてキャプテンの指名を受けたので大変でした(笑)。自分は『どれだけ嫌われるか』と思ってやっていました。
ジーコのキャプテン像、日本代表では柱谷哲二さんの闘将、井原正巳さんの優しさ、色々なやり方があると思いますが、自分はチームのためにどうするべきかと追求をしていたら、非常に厳しいキャプテンになっていました。
――社交的な本田さんからは想像できません。
本田:若い選手には面と向かってダメ出しをしていたので、怖がられていました。選手の寮に住んでいて、風呂に自分が入りに行くと、自分よりも少し前に入ったばかりの選手たちが、一斉に急いで風呂から出て行ってしまうんですよね。
「おい、まだ入ったばかりじゃないか!」と思いましたよ。大体いつも、風呂は貸し切り状態で、自分が1人で入っていると、後からは誰も来ませんでした(笑)。「めんどくせーな。緊張するな」って思われているタイプだったと思いますよ(笑)。
気を遣って仲良くして、何も言えないような関係がチームにはよくないと思っていて、年齢関係なく意見を言い合える状態にしたかったです。サッカーに関しては、攻撃の選手は発想を自由にするべきだし、守備の選手は役割をきちんと行うべきだとも考えました。それから10年もキャプテンをやりましたね。
――日本代表での役割は、どうでしたか?
本田:代表のときは「自分が代表選手として生き残るために、どうするべきか?」を中心に考えていたので、自分に集中することができましたし、鹿島よりは考えることも少なかったですね。
――日本がW杯初出場を決めたイラン戦(1997年)は、あまりにも衝撃的でした。
本田:ジョホールバルでのあの試合は凄かったですね。その後のフランスW杯の直前に、カズさん(三浦知良)とキーちゃん(北沢豪)も代表メンバーから外れてしまったので、かなり驚きましたよ。「え~!なぜ、このタイミングで!?」って。
――三浦知良選手は、今でも活躍されていますね。
本田:サッカーへの情熱や得点感覚は今でも物凄いですよ。カズさんのピーク時を知っていますが、あれだけのコンディションを今でも維持して、試合数が多くて厳しい日程のJ2では、フィジカル的なコンタクトがJ1よりも多いでしょう。
「ここぞ!」という所で得点を決めるので凄いですよ。J1の強いチームに入って、周りに上手な選手が沢山いたらもっと点を取るはずです(笑)
――まさにキングですよね。
本田:初めはキングって聞いた時に「えっ? 何がキング?」って思いましたけど、こうやって今でも選手としてプレーしているんですから、本当にキングだと思います。
僕とかはレジェンドって言われますけど、キングはレジェンドなんて次元を超えていますし、違いすぎますよね。カズさんは、日本の誇りです。まだまだ現役を続けるでしょうし、今後の日本サッカー界を盛り上げる存在となっていくでしょうね。
(第4話へ続く) http://king-gear.com/articles/345
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――Jリーグ開幕前に、鹿島でイタリア遠征をしましたよね。
本田:ジーコのツテでイタリアに遠征しました。イタリア代表のカブリーニョが経営するホテルに泊まり、イタリア3部のチーム、ボバン達がいるクロアチア代表、最終日にスキラッチ達がいるインテルと試合が出来たので、手配をしてくれたジーコは本当に流石だなと思いましたね。
――対戦して、どのような印象を持ちましたか?
本田:テレビで見たことある選手ばかりいて、スピーディーな中でもしっかりボールを蹴る、止めるができるレベルなので、凄かったですよ。プレッシャーがない中では、誰でも蹴れるじゃないですか。それを繰り返して練習しないと、動きながらは絶対に出来ない。
動きながらバチッと蹴れるのは、練習を繰り返してきた証です。もちろんスピードや駆け引きも重要ですけど、蹴る、止めるが何よりも大事なんだとイタリア遠征で感じることができて、素晴らしい経験になりました。
――その後、鹿島はブラジルにも行きました。ブラジルでのジーコはいかがでしたか?
本田:またまた凄かったですよ。ジーコは大統領のようでした。フレンドリーマッチで行ったのですが、移動バスの前後を警察の白バイ、車が常時スタンバイしていて、信号が全てストップした道を走って行くんですよね。日本では有り得ないですよ(笑)。
ジーコは前々から凄いとわかっていましたが、ブラジルに行って改めて凄さを実感しました。鹿島に入って、ジーコに出会ってからこそ実現出来たわけですし、そのような人からサッカーを学べたのは、僕の財産となっています。
――ジーコが履いていたスパイクを覚えていますか?
本田:沢山のメーカーの物を履いていたのではと思います。ブラジルの選手は、どのようなスパイクを履いても蹴れる自信があるでしょうし、ジーコもそうだったのでしょう。ジーコも止める、蹴る、ドリブルが本当に上手かったですが、基礎練習を物凄く大切にしていました。
――ジーコは日本代表監督もやりましたよね。
本田:代表監督の時は、日本を代表する選手達の集まりなので、規律などはわかっていて当然という感覚だったはずです。だからシステムだけを決めて、ピッチでプレーするのは選手だからとルールもあまり決めず、ある程度な感じでやっていましたね。
それがマスコミなどから批判をされていましたが、鹿島にいた僕たちからすると「ああ、なるほどな!」と思いましたよ。代表クラスでごちゃごちゃいう必要はないだろうし、選手達を信頼していたからこそでしょうね。ドイツワールドカップの時、やり切った感がある選手は引退しましたしね。
ジーコも選手達に、プライベートも含めて自由にやらせていましたし、試合に出ていた選手達は、思うような結果を残せなくて責任を感じていたはずです。鹿島のような弱小チームを強くするためには、結束を高めることが必要でしたし「ルールを守れ!」と、細かい事まで気にしていたのでしょうね。
――本田さんは、加茂周監督時代に日本代表に選ばれました。デビュー戦はいつでしたか?
本田:26歳の時に代表候補合宿に呼ばれて、正式に選ばれたのは28歳の時でした。1995年のサウジアラビア戦がデビュー戦です。試合前日のミーティングで、監督が自分の名前を忘れていたのには驚きましたよ(笑)。
初めは仕方ないと思いましたけど、代表に定着してから、何度も同じようなことがあったので不思議でしたね。本田って難しい名前じゃないですし、ちゃんと自分を観てくれているのかなと不安でしたよ(笑)
――鹿島ではキャプテンも務めましたね。
本田:25歳の時、ジーコの兄であるエドゥー監督から、ジーコの後継者としてキャプテンの指名を受けたので大変でした(笑)。自分は『どれだけ嫌われるか』と思ってやっていました。
ジーコのキャプテン像、日本代表では柱谷哲二さんの闘将、井原正巳さんの優しさ、色々なやり方があると思いますが、自分はチームのためにどうするべきかと追求をしていたら、非常に厳しいキャプテンになっていました。
――社交的な本田さんからは想像できません。
本田:若い選手には面と向かってダメ出しをしていたので、怖がられていました。選手の寮に住んでいて、風呂に自分が入りに行くと、自分よりも少し前に入ったばかりの選手たちが、一斉に急いで風呂から出て行ってしまうんですよね。
「おい、まだ入ったばかりじゃないか!」と思いましたよ。大体いつも、風呂は貸し切り状態で、自分が1人で入っていると、後からは誰も来ませんでした(笑)。「めんどくせーな。緊張するな」って思われているタイプだったと思いますよ(笑)。
気を遣って仲良くして、何も言えないような関係がチームにはよくないと思っていて、年齢関係なく意見を言い合える状態にしたかったです。サッカーに関しては、攻撃の選手は発想を自由にするべきだし、守備の選手は役割をきちんと行うべきだとも考えました。それから10年もキャプテンをやりましたね。
――日本代表での役割は、どうでしたか?
本田:代表のときは「自分が代表選手として生き残るために、どうするべきか?」を中心に考えていたので、自分に集中することができましたし、鹿島よりは考えることも少なかったですね。
――日本がW杯初出場を決めたイラン戦(1997年)は、あまりにも衝撃的でした。
本田:ジョホールバルでのあの試合は凄かったですね。その後のフランスW杯の直前に、カズさん(三浦知良)とキーちゃん(北沢豪)も代表メンバーから外れてしまったので、かなり驚きましたよ。「え~!なぜ、このタイミングで!?」って。
――三浦知良選手は、今でも活躍されていますね。
本田:サッカーへの情熱や得点感覚は今でも物凄いですよ。カズさんのピーク時を知っていますが、あれだけのコンディションを今でも維持して、試合数が多くて厳しい日程のJ2では、フィジカル的なコンタクトがJ1よりも多いでしょう。
「ここぞ!」という所で得点を決めるので凄いですよ。J1の強いチームに入って、周りに上手な選手が沢山いたらもっと点を取るはずです(笑)
――まさにキングですよね。
本田:初めはキングって聞いた時に「えっ? 何がキング?」って思いましたけど、こうやって今でも選手としてプレーしているんですから、本当にキングだと思います。
僕とかはレジェンドって言われますけど、キングはレジェンドなんて次元を超えていますし、違いすぎますよね。カズさんは、日本の誇りです。まだまだ現役を続けるでしょうし、今後の日本サッカー界を盛り上げる存在となっていくでしょうね。
(第4話へ続く) http://king-gear.com/articles/345
<あわせて読みたい>
黒革の矜持 第3回 播戸竜二×パラメヒコ「日本代表に入るまでは、スパイクに刺繍を入れないと決めていた」
アーティストが語るギア 第4回 Dragon AshのBOTSが語るフットボールライフ 〜大人になって稼いだらコパムンディアルを好きなだけ買える〜
原口元気が語るギア vol.3「サッカー選手が唯一選べるものがスパイク。だから最高のものを履きたい」
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