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車椅子の子供たちが、体育を楽しめる社会へ。パラカヌー・瀬立モニカが描く未来(後編)

東京パラリンピックのカヌー代表に内定している、瀬立モニカ選手。18歳で初出場した2016年リオパラリンピックで8位入賞を果たし、地元である東京・江東区の海の森水上競技場で開催される東京大会では、日本人初のメダルが期待されている。そんな瀬立選手と、彼女を支える西明美コーチに話を聞いた。

Icon 70090528 511982836063813 5722354386395463680 n 大楽聡詞 | 2020/04/17
<前編はこちら>

――現在、東京パラリンピックに向けて沖縄で合宿中とのことですが、どうして沖縄を選んだのですか?

瀬立:理由は2つあります。1つ目は「海に慣れるため」です。淡水と海水というのは浮力が違ってくるので、水を捉える感覚や水の重さが変わってきます。淡水は重くてしっとりしているので、力は必要ですが、水を捉えやすい。逆に海水はサラッとしている分、水が逃げやすいので、キャッチするポジションを掴まないといけません。

このように、淡水と海水とでは全く競技への取り組み方が変わってくるので、海に慣れることはすごく重要な作業なんです。

東京パラリンピックの会場である、海の森水上競技場(東京都江東区)は100%海水。なのでかなり浮力が強いですし、海ならではのウネリがある。さらにその中で、もし風が強いとなると、湖とかダムなどでは波が立ちませんが、海では波が立つので危険度が増します。だから海水である沖縄を合宿先に選定し、海に慣れているんです。

そしてもう1つは、「暑さに慣れるため」です。パラリンピックは夏の大会ですから、本番を想定し、この時期でも暑い沖縄で、夏に近い気温に体を慣れさせているんです。

――その2つの目的に一番適していたのが、沖縄の環境だったというわけですね。合宿や遠征先での食事はどうしているのですか?

西:海外ではほとんど自炊です。カヌーで訪れる国はヨーロッパが多いんですけど、ハムとかチーズとか塩辛いものが多いんですよ。だから炊飯器、お米や缶詰を持参しています。合宿の場合は、それを3週間分用意するんです。いつも結構、荷物多いんですよねぇ…(笑)。

――もうほとんどキャンプですね(笑)。

西:モニカの部屋は、実際にキャンプ場と化してます(笑)。

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――そうなんですか(笑)。ちなみに、合宿や遠征先で、練習以外の時間はどのように過ごしているんですか?

瀬立:休憩時間を利用して、ジグソーパズルをしています。

西:本当にしょっちゅうパズルしてますよ(笑)。リオパラリンピックの時も持参していましたね。

――その作ったパズルは、どうするのですか?

瀬立:作ったものは飾ります。この前作ったジグソーパズルは、お世話になったトレーニングセンター施設に寄贈しました。

西:サインをして置いていきます。職員の方に「モニカの遺産を置いてきます」と言い残して(笑)。

――それは反応に困ってしまいますね(笑)。ジグソーパズルにも色々なデザインのものがあると思うのですが、瀬立選手のお気に入りは?

瀬立:以前は日本の風景画が好きでしたが、今はユニークな絵にハマっていて。最近だと寿司ネタが並んだパズルを作っています。

西:お寿司屋さんの献立表みたいパズルです(笑)。

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――本当にお好きなんですね。そもそも何故、ジグソーパズルをするようになったのですか?

瀬立:きっかけとしては、ある遠征先で時間がかなり空いてしまい、その時間の穴を埋めるために「何か持参したいな」と思ったことが始まりです。

でも今はしっかりとした理由があって。カヌーは100%の力を発揮するパワー系の競技なので、これを「動」とします。その一方で、普段から「静」の趣味を持つことができれば、競技活動と、それ以外の時間でバランスを取ることができる。なのでジグソーパズルは、「心身のバランスを整えるため」にやっていることでもあるんです。

――そういう理由があったのですね。それにジグソーパズルは想像力や集中力、観察力などが向上するとも言われているので、アスリートにとっては画期的なアイテムのように思えます。話は戻りますが、合宿以外にも、自分の成長を確認するためには実戦も必要だと思うのですが、パラカヌーの大会は年間何試合くらい開催されるのですか?

瀬立:毎シーズン国内1試合、海外2試合とカヌーは試合数が少ないんです。ですから試合勘とかモチベーションを維持するために、ちょっと違う大会に出たりするんですよ。例えば、健常者のカヌーの関東大会にパラ部門を作って頂いて、実際に参加したりしています。ちなみに、それが可能となったのは、西コーチが働きかけてくださったおかげなんです。他にもいろんな方々が協力してくれたので、私たちパラ選手はすごく助かりました。

西:日本カヌー協会の方に事情を説明して、健常者の大会の中にパラ部門を立ち上げて頂きました。大会関係者が、みんな私の知り合いなので(笑)。

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――さすが西コーチ(笑)。

瀬立:それに、パラ選手が健常者のカヌー大会に出場すると、「パラ選手がいる」という認識が地域レベルでされるんです。五輪やパラリンピックという世界レベルの大会ではなく、身近な大会にパラアスリートが参加することによって、「パラもあるんだ」と興味を持ってもらえる。もし、その選手がパラリンピックに出場したら「この選手応援してみよう」と思うきっかけにもなります。そういった身近な取り組みって、パラリンピックと並行して必要なんだと思うんです。

西:実は、私たちは中学生の大会にも顔を出すようにしていて。昨年は8月の世界選手権に照準を合わせていたので、顔を出すことができなかったんですけど、それまでは毎年どこで合宿していても、2人で車に乗って応援に行っていたんです。そうすると、「パラカヌーの選手が応援に来てくれている」と全国の中学生の選手が集まってきてくれて。「サインしてください」「握手してください」「写真撮ってください」とすごく喜んでくれるんです。逆に私たちの方が、たくさんパワーを貰っているかもしれませんね。

――競技普及はもちろん、子供たちとの交流も大切になさっているんですね。ところで、東京大会でパラカヌー競技者として一区切り付けると伺ったのですが、これは本当でしょうか?

瀬立:はい、本当です。東京パラリンピックが終わったら、学生に戻ります。正直、カヌー自体も続けるかどうか悩んでいて。東京大会の結果次第かな、と思っています。

――そうだったのですね。大学では、何か取り組んでいることがあるのでしょうか?

瀬立:大学では「アダプテッド・スポーツ」について学んでいます。肢体不自由だけではなく、知的・精神障害、あとは体育が苦手な子供たちのために、インクルーシブな体育を作るというのがメインの研究室があるんです。そこで体育が苦手な子供たちに対して、どういうアプローチをしていけば良いのか、というのを研究しています。

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――その研究の先に、瀬立選手が将来的に描く夢の実現がある。

瀬立:そうですね。実は、大学入学当初から考えていることがあって。というのも、大学の同級生たちの半分が教員志望なんですけど、これから教師になっていく卵たちがたくさんいる中で、私自身が高校時代に経験した「車椅子だから体育は見学ね」「何もやらせてあげられないよ」という教師を少なくしたい。私のような思いをする子が、将来減ってくれたらいいな、という強い気持ちがありまして。だから大学の体育の授業も積極的に参加するようにしているんです。

「どうやったら、みんなで楽しめるのか」というのを先生が主体となり、みんなで考えてくれていて。工夫次第では車椅子でも体育が普通にできるというのを、みんなに知ってもらいたい。それによって、後々のインクルーシブな社会を作るきっかけにもなるんじゃないかと思うんです。

社会を変えるには教育から、教育を変えるには、そういう身の回りのところからアプローチしていく。それを少しでも実現できたら、私が大学に入ったことにも意味があったな、と思える気がします。

(※この記事の取材は2020年2月に行われました)

取材・文/大楽聡詞
編集・写真/佐藤主祥