『釜本邦茂』サッカー日本代表歴代最高得点者 第5話「日本のサッカーのやり方を考えなきゃ」
1968年のメキシコオリンピックで得点王を獲得し、日本を3位に導いた釜本邦茂氏。その釜本氏を超えるストライカーが日本から誕生するのを、誰もが待ち望んでいる。2018年ロシアワールドカップ出場を決めた日本代表について、釜本氏は一体どう考えているのか!?
佐久間秀実
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2017/11/24
<第1話は、こちらから。>
<第2話は、こちらから。>
<第3話は、こちらから。>
<第4話は、こちらから。>
――釜本さんよりも偉大なストライカーが日本で生まるために、どうすればよろしいでしょうか?
釜本:反復練習や。今はボールが何ぼでもあるじゃん。僕らの時代は、そんなにボールがなかったよ。それでも、シュートの練習してたよね。
――メキシコオリンピックで7得点で得点王に輝いて2アシストも記録し、日本を見事銅メダルへと導かれました。その後、海外のチームからもオファーが来たとのことですね。
釜本:メキシコオリンピックの後にウイルス性肝炎になって、それで海外には行けなかった。治すまでに3年くらいかかってね。その後、28歳位の時に、またサッカーをやり始めたよ。もう一度海外からオファーが来たけど、月給100万円貰えてもたかが知れてるし、ヤンマーで数10万貰ってる方が良いからね(笑)。
――メキシコオリンピック大会期間中、ファンを装ったクラブ関係者から色紙ではなく契約書を渡され、危くサインしそうになったことがあるのですか。
釜本:本当かどうだったか分からないけど、沢山の人にサインを求められるから、小さくサインすると何に利用されるか分からないし、サインは紙の真ん中に大きくガーンと『釜本邦茂』と書いてたね(笑)。
――対戦して強かった海外チームは、どこでしたか?
釜本:そりゃやっぱり、ブラジルのサントス。ペレが強烈な点入れたからね。それからベンフィカ。バイエルンミュンヘンには、ベッケンバウアーがいたり、当時はそれなりのチームが日本に来てたね。
――アーセナル戦で、物凄いゴールを決められたんですね。
釜本:うん。飛び込みながらヘディングでね。
――海外の選手達は、どうでしたか。
釜本:向こうの選手は、リーグ戦が終わって遊びみたいな感じて日本にやって来て、こっちのことを知らないからね。昔は今と違って、クラブチームしか日本に来なかったよ。国の代表チームが日本に来るなんて、とんでもない話だった。日本と世界には大きな差があったってことだね。
今は、各国の代表チームや有名なクラブが日本に来たりしてるね。物凄くお金がかかってるけど、お客さんが入るからいいよね。日本も負けるけど、いい試合もしてるじゃん。結局、サッカーという競技はラグビーなんかと違って、3点入れたら決定的に勝ったと思えるよな。ラグビーだと20点差でもまだ分からないから、常に前へ前へいかないといけない。でもサッカーは、自分らでボール回して時間をかけて試合を終わらせることができるからね。
――サッカー日本代表が、2018年ロシアワールドカップの出場を決めましたね。
釜本:それは、日本がワールドカップに出場する力が当然あるし、ただ最初の方で負けて苦戦をしたから、最後まで冷や冷やしてたというのがあるね。まあ、あの対戦相手なら勝てるでしょ。もっと、スーッとすんなりと行くと思ったけれど、だらしないね。
――どのような点においてとなりますか。
釜本:こっちはプロの集まりで、相手はプロなのかアマチュアなのか何だか分からんじゃん。それで、先日親善試合で対戦したニュージーランドとハイチの試合にしたって。あんなことやってたって、それでワールドカップに出たからって、予選リーグで1試合も勝てないよね。選手達が上手くなってることは上手くなってるけど、上手いだけで強さがないよね。だから、ここで日本のサッカーのやり方を考えなきゃいけないと思うね。
2006年から日本はワールドカップに出場し続けてるけど、サッカーに対する本質的な考え方をちょっと考えなきゃね。どこを変えるのかは難しいところあるけどね。日本は、おかしいよね。勇敢さや戦うということが前面に出てこないと、試合では勝てないよ。単純に考えたら、そこだけ。
昔は、それだけで勝ってたんだからな。だけど今は、あまりにも綺麗事過ぎるよね。ボールポゼッションが90%以上あっても、試合に負けることもあるよ。だから、ボールポゼッションがどうのこうのって言いだしてから、日本のサッカーがおかしくなったんだよね。
「ストライカーが何で育たないのか?」って言うけど、育てようとしてないじゃん、そうでしょ。ボール回しばっかりして。サッカーは、ゴールに入れなきゃいけないんだよ。ボール回しをしたって、相手に決められたら試合に勝てないじゃん。強いところとやる時は、守らなきゃ勝てないね。互角にサッカーしたって、そりゃ実力がある方が勝つよね。
――ワールドカップの相手は、強いですからね。
釜本:日本より遥かに強いよ(笑)。
――強豪国と戦う場合に、守備が物凄く重要となりますよね。
釜本:そうでしょ。テストマッチをやるなら、何だか分からないところよりも、イラン、韓国、ウズベキスタンとやるほうが良いね。この前のニュージーランドとハイチ、あんなのはテストマッチにならないじゃん。試合観てて、ハイチなんて「どこの国やー!」と思ったよ(笑)。そんなこと言ってはいけないけど、そういうレベルの国と試合して何点か取ったらそれで良いのかって。国際マッチでは、9点まで取れるように規程されてるから、そこまで奪いに行かないとね。
――ハイチ戦は、2点先取してから急に崩れ始めたと思いました。
釜本:そうそうそう。あの相手にはもっと攻めていかないと。ボール回してて、サーッと奪われるのは、弱いわけでしょ。攻撃では、点にならなくても攻め切ってしまわないとね。
U17代表もミスをして、ロングパス1本でやられてるわけじゃん。試合は観てないけど、大体分かる。どんなサッカーしていたのか、チョンチョンチョンチョン上手いけどね。だけど、ゴールにいかなきゃ。
第6話へ続く。
■プロフィール
釜本邦茂(かまもと くにしげ)
1944年 京都出身
元サッカー日本代表 京都文教大学 客員教授
早稲田大学1年生で東京オリンピックに出場。大学リーグ4年連続得点王。卒業後ヤンマーディーゼルに入社。日本リーグ通算202得点。1968年メキシコオリンピックで銅メダル獲得、7得点。日本代表国際Aマッチ75得点(歴代1位)。国際Aマッチ得点率0.98は、世界歴代1位。現役引退後ヤンマーディーゼル・ガンバ大阪で監督を歴任。1995年参議院議員に当選。1998年から2008年7月まで財団法人 日本サッカー協会の副会長を務める。2005年には第一回サッカー殿堂に最年少で選出された。2006年には、京都文教大学の客員教授に就任。現役引退後から今日まで全国各地で既に1000回を超えるサッカー教室を開催し、のべ500,000人を超える子供たちを指導している。その中には中田英寿、中村俊輔、川口、宮本、稲本、大黒など、数多くの子供たちが後に日本代表選手へと成長している。2014年5月に旭日中綬章受章。
取材写真/佐久間秀実
<第2話は、こちらから。>
<第3話は、こちらから。>
<第4話は、こちらから。>
――釜本さんよりも偉大なストライカーが日本で生まるために、どうすればよろしいでしょうか?
釜本:反復練習や。今はボールが何ぼでもあるじゃん。僕らの時代は、そんなにボールがなかったよ。それでも、シュートの練習してたよね。
――メキシコオリンピックで7得点で得点王に輝いて2アシストも記録し、日本を見事銅メダルへと導かれました。その後、海外のチームからもオファーが来たとのことですね。
釜本:メキシコオリンピックの後にウイルス性肝炎になって、それで海外には行けなかった。治すまでに3年くらいかかってね。その後、28歳位の時に、またサッカーをやり始めたよ。もう一度海外からオファーが来たけど、月給100万円貰えてもたかが知れてるし、ヤンマーで数10万貰ってる方が良いからね(笑)。
――メキシコオリンピック大会期間中、ファンを装ったクラブ関係者から色紙ではなく契約書を渡され、危くサインしそうになったことがあるのですか。
釜本:本当かどうだったか分からないけど、沢山の人にサインを求められるから、小さくサインすると何に利用されるか分からないし、サインは紙の真ん中に大きくガーンと『釜本邦茂』と書いてたね(笑)。
――対戦して強かった海外チームは、どこでしたか?
釜本:そりゃやっぱり、ブラジルのサントス。ペレが強烈な点入れたからね。それからベンフィカ。バイエルンミュンヘンには、ベッケンバウアーがいたり、当時はそれなりのチームが日本に来てたね。
――アーセナル戦で、物凄いゴールを決められたんですね。
釜本:うん。飛び込みながらヘディングでね。
――海外の選手達は、どうでしたか。
釜本:向こうの選手は、リーグ戦が終わって遊びみたいな感じて日本にやって来て、こっちのことを知らないからね。昔は今と違って、クラブチームしか日本に来なかったよ。国の代表チームが日本に来るなんて、とんでもない話だった。日本と世界には大きな差があったってことだね。
今は、各国の代表チームや有名なクラブが日本に来たりしてるね。物凄くお金がかかってるけど、お客さんが入るからいいよね。日本も負けるけど、いい試合もしてるじゃん。結局、サッカーという競技はラグビーなんかと違って、3点入れたら決定的に勝ったと思えるよな。ラグビーだと20点差でもまだ分からないから、常に前へ前へいかないといけない。でもサッカーは、自分らでボール回して時間をかけて試合を終わらせることができるからね。
――サッカー日本代表が、2018年ロシアワールドカップの出場を決めましたね。
釜本:それは、日本がワールドカップに出場する力が当然あるし、ただ最初の方で負けて苦戦をしたから、最後まで冷や冷やしてたというのがあるね。まあ、あの対戦相手なら勝てるでしょ。もっと、スーッとすんなりと行くと思ったけれど、だらしないね。
――どのような点においてとなりますか。
釜本:こっちはプロの集まりで、相手はプロなのかアマチュアなのか何だか分からんじゃん。それで、先日親善試合で対戦したニュージーランドとハイチの試合にしたって。あんなことやってたって、それでワールドカップに出たからって、予選リーグで1試合も勝てないよね。選手達が上手くなってることは上手くなってるけど、上手いだけで強さがないよね。だから、ここで日本のサッカーのやり方を考えなきゃいけないと思うね。
2006年から日本はワールドカップに出場し続けてるけど、サッカーに対する本質的な考え方をちょっと考えなきゃね。どこを変えるのかは難しいところあるけどね。日本は、おかしいよね。勇敢さや戦うということが前面に出てこないと、試合では勝てないよ。単純に考えたら、そこだけ。
昔は、それだけで勝ってたんだからな。だけど今は、あまりにも綺麗事過ぎるよね。ボールポゼッションが90%以上あっても、試合に負けることもあるよ。だから、ボールポゼッションがどうのこうのって言いだしてから、日本のサッカーがおかしくなったんだよね。
「ストライカーが何で育たないのか?」って言うけど、育てようとしてないじゃん、そうでしょ。ボール回しばっかりして。サッカーは、ゴールに入れなきゃいけないんだよ。ボール回しをしたって、相手に決められたら試合に勝てないじゃん。強いところとやる時は、守らなきゃ勝てないね。互角にサッカーしたって、そりゃ実力がある方が勝つよね。
――ワールドカップの相手は、強いですからね。
釜本:日本より遥かに強いよ(笑)。
――強豪国と戦う場合に、守備が物凄く重要となりますよね。
釜本:そうでしょ。テストマッチをやるなら、何だか分からないところよりも、イラン、韓国、ウズベキスタンとやるほうが良いね。この前のニュージーランドとハイチ、あんなのはテストマッチにならないじゃん。試合観てて、ハイチなんて「どこの国やー!」と思ったよ(笑)。そんなこと言ってはいけないけど、そういうレベルの国と試合して何点か取ったらそれで良いのかって。国際マッチでは、9点まで取れるように規程されてるから、そこまで奪いに行かないとね。
――ハイチ戦は、2点先取してから急に崩れ始めたと思いました。
釜本:そうそうそう。あの相手にはもっと攻めていかないと。ボール回してて、サーッと奪われるのは、弱いわけでしょ。攻撃では、点にならなくても攻め切ってしまわないとね。
U17代表もミスをして、ロングパス1本でやられてるわけじゃん。試合は観てないけど、大体分かる。どんなサッカーしていたのか、チョンチョンチョンチョン上手いけどね。だけど、ゴールにいかなきゃ。
第6話へ続く。
■プロフィール
釜本邦茂(かまもと くにしげ)
1944年 京都出身
元サッカー日本代表 京都文教大学 客員教授
早稲田大学1年生で東京オリンピックに出場。大学リーグ4年連続得点王。卒業後ヤンマーディーゼルに入社。日本リーグ通算202得点。1968年メキシコオリンピックで銅メダル獲得、7得点。日本代表国際Aマッチ75得点(歴代1位)。国際Aマッチ得点率0.98は、世界歴代1位。現役引退後ヤンマーディーゼル・ガンバ大阪で監督を歴任。1995年参議院議員に当選。1998年から2008年7月まで財団法人 日本サッカー協会の副会長を務める。2005年には第一回サッカー殿堂に最年少で選出された。2006年には、京都文教大学の客員教授に就任。現役引退後から今日まで全国各地で既に1000回を超えるサッカー教室を開催し、のべ500,000人を超える子供たちを指導している。その中には中田英寿、中村俊輔、川口、宮本、稲本、大黒など、数多くの子供たちが後に日本代表選手へと成長している。2014年5月に旭日中綬章受章。
取材写真/佐久間秀実