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原田雅彦が「誰よりも遠くに飛びたい夢」を叶えた長野五輪を振り返る !映画「ヒノマルソウル〜舞台裏の英雄たち〜」が18日公開

1998 年に行われた長野五輪スキージャンプ団体で、日本代表の金メダル獲得を 影で支えたテストジャンパーの活躍を描いた映画、「ヒノマルソウル〜舞台裏の英雄たち〜」が18日から公開される。「日の丸飛行隊」の一員として、金メダル獲得に貢献した原田雅彦さんに、当時の想い出や、映画をご覧になられた感想をお伺いした。

Icon     白鳥 純一 | 2021/06/17

――まずは映画「ヒノマルソウル〜舞台裏の英雄たち〜
」が公開を迎えます。まずは、ご自身の経験が映画化されたという率直な想いを教えてください。
 

 原田:長野五輪のジャンプ団体で金メダルを取ったのは、もう20年くらい前のことなんですけど、今でも「あの時に金メダルを取れて良かったね」って、声を掛けてもらえることが多くて…。このように映画化されて、また次の世代に繋がっていくというのは非常に嬉しいですよね。

 ――映画では、テストジャンパーとして長野五輪に参加することになった西方仁也さんが、「子供の頃に飛んだ」というジャンプ台が登場します。原田さんは、どのようなきっかけで競技を始められたのでしょうか?  

 原田:ジャンプ少年団に入ったのは、小学校3年生の時でした。僕が生まれ育った北海道の田舎町(上川郡上川町)には、小さなスキー場があったんです。

最初はスキーを滑って遊んでいたのですが、ある時、たまたま隣にあった子供用のジャンプ台で、ジャンプ少年団が活動をしていました。ジャンプをしている子供達を見た時に、「あそこから跳んだら、どんな気持ちなんだろう」と、興味が湧いてきて…。それが知りたくて競技を始めました。

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©2021映画「ヒノマルソウル」製作委員会 

――ジャンプの「怖さ」は、あまり無かったですか?

 原田:いざ、「跳ぶぞ」という時には、本当に恐ろしかったですよ。物凄い恐怖心に襲われるなか、先輩に押されて、5〜7mくらい下に落ちたんです。その時には、「ふわり」と浮くような感覚や、「飛べた」という実感がありまして…。「次のジャンプでは、もっと遠くまで跳べるんじゃないか」という強い想いが、選手生活の根幹にはありましたね。     

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©2021映画「ヒノマルソウル」製作委員会 

 ――その後、さまざまな大会で成績を残された原田さんは、雪印に入団。本作の主役でもある西方さんに出会うわけですが、第一印象は覚えていますか? 

 原田:「とにかくすごく身長が高かった(180㎝)」というイメージが残っています。その後は、同じ年齢で、表情も豊かな人なので、すぐ仲良くなりました。特に日本代表で一緒に合宿をするようになってからは、一気に溶け込んだ感じがありましたね。 

――その後、原田さんは1992年のアルベールビル五輪(フランス)にも出場し、個人ラージヒルでは4位という好成績を残されました。初の五輪を経験された時の感想を教えてください。

 原田:当時はまだ何も分からず、プレッシャーや怖いものもなかった。なので、これまでで一番楽しいオリンピックでしたね。純粋にオリンピックに参加して、街の壁に貼ってある五輪のマークに感動したりとか…。この時は、「好成績を出そう」とは思っていなかったんですが、凄く自信はあった。「五輪に参加したので、とりあえず飛ぶ」くらいの気持ちで挑んだら、結果として好成績に繋がったという感じですね。 

――リレハンメル五輪での、メダル獲得に向けた手応えも感じられたのではないですか?
 

 原田:当時はまだ駆け出しだったこともあり、メダルを意識することはありませんでした。本格的に結果へのプレッシャーを感じるようになってきたのは、翌年の世界選手権(1993年2月・ファールン)のノーマルヒルで、1位になってからですね。その後は、徐々に「メダルを取りにいくんだ」という想いが強くなり、気付かないうちにプレッシャーを感じていたように思います。 

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――1994年のリレハンメル五輪の成績を振り返ると、出場された3種目のいずれにおいても、2本目のジャンプで成績を落としていますね。これも「プレッシャー」によるものなのでしょうか?

 原田:そうですね。結局、五輪を甘く見ていたんだと思います。五輪本番を迎える前のワールドカップでも、同じ事を繰り返していたんですよ。でも、一方では、「このまま行けば大丈夫かな?」という安易な考えもあって…。 

――そのような中で、ジャンプの団体戦を迎えられました。金メダルをほぼ手中に収めた日本代表でしたが、原田さんのジャンプを終えると2位に後退。金メダルを逃すことになりました。
 

 原田:試合前は、出場した選手全員が、「やってやるぞ!」という強い気持ちで臨みました。本来であれば、どう考えても我々が1位になるべきだったと思うんですが…。試合を終えた時には、「大変な事をしてしまった」という想いが強くて、なかなか心の整理がつかなかったというのが正直なところです。

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 ©2021映画「ヒノマルソウル」製作委員会  

――その後は、さまざまな辛い思いも経験されたとお聞きしました。どのようにして立ち直られたのでしょうか?

 原田: 周囲の人たちの助けがあってこそだと思います。本当に乗り越えるのは大変でしたね。五輪を終えた後も思い悩むことがありましたけど、いつまでも「悔しさ」を引きずるわけにはいきませんし、次のワールドカップやその先の人生もすぐにやってくる。 

結局のところ、終わってしまった過去はどうにもならない。僕自身がこれまでよりも良い成績を出し、「原田は強くなったな」と言われるような選手を目指す。出来ることはそれしかありませんでした。

――リレハンメル五輪を終えた後には、スランプも経験されました。(1994〜95年)当時はどのように過ごされていましたか? 

 原田:やっぱり、気持ちの浮き沈みはありましたよね。距離を伸ばすために新しいテクニックを試したりもしましたが、なかなか上手くいかないことが続きました。焦りもあったので、どんどん悪い方に向いていって…。

でも、迷いに迷った末に「僕にしか出来ないテクニックが一番良い」という答えに巡り会うことができたんですよ。そこからはさまざまな想いも吹っ切れ、自信を取り戻すことが出来たように思います。  

「これならイケる」という手応えを感じながら、長野五輪に向けて調整を進めていったという原田さん。世界選手権の王者にも輝くなど、万全の状態で長野五輪へと挑むこととなった。

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©2021映画「ヒノマルソウル」製作委員会 

 ――長野五輪は、原田さんが得意とする「個人ノーマルヒル」で幕を開けましたが、この時は5位という成績でした。 

 原田:「メダルを取る可能性が高い」と言っていただいたなかで、僕はまたしても表彰台を逃してしまったんですよ。 1本目で1位につけたのですが、2本目で距離を落としてしまいまして…。4年前と似たような状況だったこともあり、試合後には、リレハンメルの時と同じような凄まじい誹謗中傷がありましたね。そんな状況のなかで、「まだまだジャンプの追求が甘かった」と気持ちを切り替えて臨んだのが、2戦目の個人ラージヒルでした。

――個人ラージヒルでは、銅メダルを獲得されました。団体戦に向けて、自信にもつなかったのではないですか?
 
 
原田:
そうですね。1本目のジャンプは6位だったんですが、2本目で大きく距離を伸ばすことができたんですよ。 メダルを獲得できたことももちろんですが、この時に「一番遠くまで飛んだ選手」になれたことに対して、非常に満足感がありました。

 初めてスキーを始めた時から、「遠くまで飛びたい」という想いをずっと持って競技を続けてきたんです。その“夢”がオリンピックの舞台で叶えられたということが本当に嬉しかったですし、団体戦に向けた自信にもなりました。

 ――そのようななかで迎えた団体戦。原田さんの1本目は、難しいコンディションの中でのジャンプを強いられました。当時は、どのような感情で過ごされていましたか? 

 原田:「試合を止めたらいいのに…」というくらいの吹雪で、「なぜなんだ!」と思いましたね。

とにかく万全のコンディションで、「誰が飛んでも金メダルが取れる」という状況で試合に臨んだんですけども、「悪天候」になることはまったく想定していませんでした。 僕らが1回目のジャンプを終えた時は、メダル圏外の4位で…。関係者を含めて、みんなが言葉を失っていましたね。

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 ©2021映画「ヒノマルソウル」製作委員会  

――猛吹雪が続くなか、テストジャンパーの皆さんが、安全に滑走できたことで、試合は再開。見事逆転での金メダルにつなげることができました。
 

 原田:猛吹雪の影響で、「このまま終わったら、日本はメダル取れない」という状態でした。そんななかで、再開を待ち侘びている観客の皆さん、除雪作業をしてくださる役員の皆さん。そして、ジャンプを飛んでアピールしてくださったテストジャンパーの皆さん。 多くの人が競技の再開に向けて動き出してくれて…。みんなのおかげで金メダルの夢が叶えられたと思っています。 

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 ©2021映画「ヒノマルソウル」製作委員会  

――2本目のジャンプは、映画の主役でもある西方さんのアンダーシャツ、葛西紀明さんのグローブを付けて挑まれました。どのような想いだったのでしょうか?
  

 原田:西方は、五輪が開催された長野県の出身なんです。彼が子供の頃から、地元の期待を背負っていたことも知っていましたし、(代表メンバーから漏れた時の)西方選手の悔しさは、僕も手に取るように分かっていました。 

当日、足がガクガクになるくらいまで飛んでくれたテストジャンパーの皆さんへの感謝の気持ちや、団体戦に出場できなかった西方、葛西といったメンバーの五輪に懸ける想い。「彼等の分まで飛びたい」という想いで競技に臨みましたね。 

――2本目に大ジャンプを見せた原田さんが喜ぶ様子や、最終滑走者の船木さんを待ち、金メダルを獲得するまでの様子は、テレビでも度々放映されました。当時の心境を教えてください。
 

 原田:本当は「これから船木が飛びますから…」と言おうとしたんですよ。実は、あの辺りのことは、あまり覚えていなくて…。

正直、2本目のジャンプを飛び終わった時は、ホッとして、腰が抜けて立てないような感覚でした。
 金メダル獲得が決まった時は、「原田さん、良かったですね」とみんなが声をかけてくれて…。4人共、力を出しきりましたね。

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――原田さんは現在、
雪印メグミルクスキー部の総監督として、後進の指導にあたられています。長野五輪の経験を、選手の皆さんにお話されることもあるのでしょうか? 

 原田:そこまで詳細ではないですけど、勿論話すこともありますよ。これまでにさまざまな試合を経験しましたが、あんなに沢山の人に見に来ていただいたのは、長野五輪が最初で最後と言っても過言ではない。一番盛り上がった大会でしたからね。

 ――来年は北京五輪の開催が予定されていますが、昨シーズンは試合の延期が相次ぐなど、難しい状況が続きましたよね? 

 原田:日本人だけでなく、世界中の選手が頭を抱えている問題なのですが、選手達は逞しいと思いますね。思うような練習ができない時にも、自分たちで考えて前に進んでいく。選手たちの前に歩みつづける力の大きさに、驚かされることも多いんですよ。     

 ――5回の冬季五輪に出場されている原田さんですが、原田さんにとって五輪の魅力は何ですか?

 原田:五輪に出場すると、独特のプレッシャーや、自分を後押ししてくれる大きな力を感じることができる。これはスポーツを極めた先にある、「一番素晴らしい瞬間」だと僕は感じています。いま指導している選手たちにも、一度この感覚を味わってもらいたいなという想いで、指導にあたっています。

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  ©2021映画「ヒノマルソウル」製作委員会 

ヒノマルソウル〜舞台裏の英雄たち〜』  

 出演:田中圭 土屋太鳳 山田裕貴 眞栄田郷敦 小坂菜緒(日向坂46)/濱津隆之/古田新太 他 

西方仁也(リレハンメル五輪銀メダリスト)が、メンバー外の長野五輪で得た誇り 映画「ヒノマルソウル〜舞台裏の英雄たち〜」が今月18日公開!