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サッカー日本代表を牽引した攻撃の巨星ー功績から紐解く歴代代表メンバーとは【後編】

サッカー日本代表が初めてオリンピックに出場した時から見ると、今では半数以上の選手が海外でプレーする時代へと変わった。その歴史を語るうえで欠かせない名選手は数えきれないほどいる。今回は、彼らが残してきた功績から紐解き、筆者が思う最強の日本代表メンバーを選出していこうと思う。日本代表での出場試合数やW杯での活躍、クラブでの実績など、多角的な視点から歴代最強の布陣を探っていく。前半では守りの選手を中心に紹介したが、後半では攻めの選手を取り上げたい。※トップ画像出典/photoAC

Icon arata illust2 眞木 優 | 2025/03/25

冷静な判断力と卓越したリーダーシップ長谷部誠

キャプテンとしての統率力に優れ、ピッチ上での冷静な判断が際立つ長谷部誠。攻守のバランスを取りながら、味方を動かし、相手の攻撃を抑える役割を担ってきた。プロキャリアの大半をドイツ・ブンデスリーガで過ごし、VfLヴォルフスブルクでは2008-09シーズンにブンデスリーガ優勝を経験。フランクフルトに移籍後は、主将としてチームをまとめ、2017-18シーズンにはDFBポカール優勝に貢献した。

日本代表としては114試合に出場。2010年、2014年、2018年のワールドカップでプレー。2006年に日本代表に初招集され、以降長年にわたり代表チームの中心選手として活躍。2010年の南アフリカワールドカップではキャプテンとしてチームを率い、日本代表をベスト16に導いた。2014年のブラジルワールドカップではグループリーグ敗退を喫したが、その経験を糧にチームの建て直しに尽力。2018年のロシアワールドカップでは、再びキャプテンとして日本代表を牽引し、決勝トーナメント進出に貢献した。クラブレベルでは、守備的ミッドフィルダーからリベロへと転向し、試合の流れを読む力とカバーリング能力の高さを発揮。2022-23シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグのベスト16進出を果たし、日本人選手としても歴史に名を刻んだ。

長谷部は、日本サッカー界において非常に重要な存在といえる。Jリーグ、ブンデスリーガ、代表チームのすべてでリーダーシップを発揮し、数々のタイトルを獲得した。特にドイツ・フランクフルトでの成功は、彼のキャリアの中でも最も輝かしい実績の一つである。代表引退後も現役を続け、40歳を迎えたシーズンに引退。知性とフィジカルを兼ね備えた唯一無二の存在であり、日本サッカーの象徴的なリーダーの一人だ。

日本の攻撃を牽引するエース三笘薫

ドリブル成功率の高さと爆発的な加速力を持ち、日本の攻撃の要として期待される三苫薫。2022年のカタールワールドカップ本大会では、日本代表の左サイドアタッカーとして出場し、ドイツ戦やスペイン戦で決定的なプレーを見せた。特にスペイン戦では、ゴールラインぎりぎりで折り返したクロスが決勝点を生み、日本の決勝トーナメント進出に大きく貢献。このプレーは世界的に注目され、「ミトマの1ミリ」として話題にもなった。

しかし三笘を一躍有名にしたのは、2017年の天皇杯でJ1のベガルタ仙台を破るドリブルからのゴールだろう。推定約60メートルといわれるドリブルを始めた三笘を止められる選手は誰もいなかった。この試合では三苫が攻撃の中心となり、プロ相手にも通用する技術とフィジカルを証明した。プレミアリーグでは、アーセナルやリヴァプールといった世界最高峰のディフェンダー相手にもドリブル突破を成功させ、ゴールにも絡む活躍を見せている。

圧倒的なスピードと緩急を使ったドリブル、そして高い決定力でファンを楽しませるプレー。ボールを持った際の加速力と、フェイントを駆使して相手をかわすバランス能力は、プレミアリーグの中でも屈指のレベルだろう。日本代表としては、28試合の出場(2024年3月時点)にとどまっているが、2026年ワールドカップで日本の攻撃の要として大きな期待をされている。

国際的な評価を高めたフィールドの指揮官、中田英寿

卓越したフィジカルと戦術眼を持ち、日本サッカーの国際的な評価を高めた中田英寿。プレースタイルの特徴は、正確なパスと広い視野、そして海外選手とも互角に渡り合える身体能力である。中盤でのゲームメイク能力は日本にとって不可欠な要素であり、彼がボールを持つことで得点の確率があがった。

日本代表としては77試合に出場。1998年、2002年、2006年のワールドカップに出場。1998年フランス大会で日本代表の中心選手として活躍。2002年の日韓ワールドカップでは、日本代表のベスト16進出に大きく貢献し、グループリーグのハンガリー戦でゴールを記録した。ペルージャに移籍したシーズンの開幕戦では、ユベントス相手から2ゴールを奪う衝撃的なデビューを飾る。まさに「伝説のはじまり」だった。移籍したローマでは、2000-01シーズンにイタリア語で“栄光の盾”を意味するスクデット獲得に大きく貢献し、日本人選手として初めて欧州主要リーグでの優勝を経験。中田の活躍なくしては獲得できなかったタイトルだった。その後、パルマやボローニャ、フィオレンティーナとイタリアといった強豪クラブでプレー。攻撃的MFとしてゲームを組み立てるだけでなく、強烈なミドルシュートやゴール前での決定力も兼ね備えていた。ピッチ内外でのカリスマ性とリーダーシップも際立っており、日本代表チームを精神的にも支えた。

ボールを持てば何かが起こる久保建英

10歳の時にバルセロナのカンテラ(下部組織)に加入し、将来を嘱望された選手といえば久保建英が挙げられるだろう。卓越したテクニックはもちろんのこと、彼は創造力と独自のプレースタイルによって、早い段階でその名を世界に響かせた。日本代表としては2020東京オリンピックに出場。得意の右サイドからゴールを演出する場面も見られた。2022年のFIFAワールドカップ・カタール大会では初めてワールドカップでプレー。 ​グループステージ初戦のドイツ戦に先発出場し、日本の勝利に貢献した。

久保は、2019年にスペインの名門クラブ、レアル・マドリードへ移籍したが、それは彼の才能が世界的に認められた瞬間ともいえる。その後、マジョルカやヘタフェ、ビジャレアル、レアル・ソシエダといったトップクラブにてプレー。不調な時期もあったが、安定して高いパフォーマンスをファンに見せている。攻撃の起点を作り出す能力は言うまでもなく、久保がボールを持ったときの創造力と、相手ディフェンダーを引きつける能力は群を抜いている。小柄な体格ながらも、ボールコントロールは非常に精緻で、相手選手をかわすドリブルはまるで魔法のようだ。久保は未来の日本サッカーを担う存在であり、才能と努力によって着実に成長を遂げている。スペインのトップレベルでの活躍を通して、日本サッカーの新たな歴史を築いていくことだろう。

驚異の得点率で歴史を刻んだストライカー釜本邦茂

日本サッカーの歴史を変えた人物といえば釜本邦茂も忘れてはならない。その名は多くのサッカーファンに深く刻まれていることだろう。国内リーグで長年にわたってトップレベルのプレーを見せ続けた、まさにサッカー界のレジェンドの1人である。

1964年から1977年にかけて、日本代表として76試合に出場。日本のストライカーとして75得点を記録している。​これは、1試合あたりほぼ1得点という驚異的な得点率だ。日本代表の歴代最多得点記録として現在も破られていない。1968年メキシコオリンピックでは、大会得点王に輝くとともに、日本代表の銅メダル獲得に大きく貢献した。

釜本のプレーは、ゴールを決めるためのあらゆるテクニックを駆使し、ボールコントロールに優れていた。相手選手との駆け引きの中でもその技術を発揮。スピードやフィジカルの面でも優れ、どんな局面でも自分の力を最大限に活かしゴールできる選手である。釜本は、日本サッカーの歴史に名を刻み、今日のサッカー界の礎を築いた選手といえるだろう。