
歴代選手たちのキャリアを分けた決断ー悲喜こもごものFA移籍を振り返る
1993年のオフに導入された、プロ野球選手が所属球団で一定条件を満たした後に他球団への移籍を認められる権利を指すフリーエージェント(以下、FA)。国内移籍の場合、高卒は8年、大卒・社会人は7年で取得できる同制度で新天地に移った選手はこれまで100名以上にのぼる。ところが、実績を積んできた一流選手の移籍でありながら成功もあれば失敗もある。これまでにFA移籍したトッププレーヤーにまつわる悲喜こもごもの歴史を振り返る。※トップ画像出典/photoAC

広角に打ち分けるヒットメーカーに進化した稲葉篤紀
前チーム時代よりもハイレベルな成績をマークした選手の代表格といえば、ヤクルトスワローズから北海道日本ハムファイターズにFA移籍した外野手・稲葉篤紀だろう。ヤクルトに入団すると、ルーキーだった1995年から規定打席不足ながら打率.307、8本塁打をマークして左の巧打者として活躍。しかし、ケガが多く連続して成績を収められないことがネックになっていた。また、左打者を苦手としているなど弱点も多い打者だった。
そんな稲葉は2004年オフにFA宣言。一時はメジャーを狙うもオファーがなく、日本ハムへ移籍。すると、流し打ちを極めて左投手を攻略できるようになったほか、インサイドのストレートにも振り負けないスイングを習得。2006年には打率.307、26本塁打、75打点と好成績を収めて日本シリーズMVPに輝き、2007年には首位打者、最多安打と自身初の個人タイトルも獲得した。年齢を重ねるごとに技術が向上し、ついには日本代表に選出。FA移籍をきっかけに偉大な打者に成長したのだった。また、人間味溢れる優しい性格と面倒見の良さで、ヤンチャ気質だったダルビッシュ有(現・サンディエゴ・パドレス)や中田翔(現・中日ドラゴンズ)を更生させてスター選手に育てたことも功績の一つだろう。
大型契約も0勝に終わったジャイアンツキラー・川崎憲次郎
FA移籍後の成績が悔やまれる結果に終わったのは、ヤクルトスワローズから中日ドラゴンズに移籍した右腕・川崎憲次郎だ。高校時代から完成度の高いピッチングをしており、1989年のルーキーイヤーから13試合に先発。読売ジャイアンツ戦での初完封勝利を含む4勝を挙げるなど、鮮烈なデビューを果たした。その後も、球威のあるストレートと食い込んでくるシュートを武器にエースへと成長。1998年には17勝10敗、防御率3.04、94奪三振で最多勝と沢村賞を受賞した。また、“ジャイアンツキラー”と呼ばれて通算29勝をマーク。ファンに愛されるエースだった。
2000年に満を持してFA宣言。ボストン・レッドソックスからのオファーを断り、中日ドラゴンズへ移籍。破格の年俸2億円、複数年契約を結んで話題を呼んだ。しかし、周囲の期待がかかるなか、2001年のオープン戦で右肩痛を発症。その後3年間、一度も1軍登板を果たせずに終わる。2003年にはオールスターゲームのファン投票で川崎を先発投手部門1位にしようとネット投票を悪用する騒動があり、プライドもズタボロにされてしまうことに。2004年にようやく復帰し、開幕投手に抜擢。だが、ケガは完治しておらず2イニングを持たずに降板し、同年に引退した。川崎とドラゴンズにとっては最悪のFA移籍となった。
タイガースを優勝に導いた鉄人スラッガー・金本知憲
チームを悲願の優勝に導いたFA移籍の成功者といえば、広島東洋カープから阪神タイガースに移籍したスラッガー・金本知憲も挙げられるだろう。カープに入団当初は細身で非力なバッターだったが肉体改造を重ねて、2000年には打率.315、30本塁打、30盗塁でトリプルスリーを達成。打って走れる4番打者として君臨した。
そんな金本は、星野仙一監督の熱烈なラブコールを受けて2002年にタイガース移籍を決意。すると、勝負強い打撃とリーダーシップを発揮し、移籍直後の2003年にチームを18年ぶりのリーグ優勝に導いた。さらに、2004年にはカープ時代から続く連続試合フルイニング出場の日本新記録を樹立。初タイトルとなる打点王も獲得し、不動のスラッガーとしてタイガースの顔になっていった。引退後にはタイガースの監督にも就任して、FA移籍で人生を変えた。
中継ぎエースとして期待されるも不振に終わった森福允彦
プロではめずらしい左のサイドスロー投手として福岡ソフトバンクホークスの“勝利の方程式”を担った森福允彦。しかし、読売ジャイアンツへのFA移籍後は悔やまれる結果となった。
入団当初はスリークォーターで投げていたが、左打者に対抗するためにプロ2年目の2008年オフにサイドスローへ本格転向。打ちづらい独特なフォームと鋭く曲がるスライダーを武器に2011年からはリリーフとしてブレーク。60試合に登板して4勝2敗34ホールド、防御率1.13という驚異的な数字を残した。しかし、次第に左打者へのワンポイント登板が増えたこともあり、2016年にFA権を行使してジャイアンツへ移籍を果たす。だが、このFA移籍が森福の野球人生を変えてしまう。2017年は得意とする左打者に打ち込まれてしまい、調子を崩し成績は急降下。2019年には1軍登板が7試合のみに終わり、戦力外通告を受けたのだった。ファームでは41試合に登板して防御率1.60と好成績を収めていただけに悔いの残る引退となった。
両リーグで首位打者を獲得した安打製造機・内川聖一
FA移籍でさらなるキャリアアップを成し遂げた選手といえば、横浜ベイスターズから福岡ソフトバンクホークスへ移籍した内川聖一だ。
ベイスターズに入団後、プロ入り5年目まではレギュラーを掴み切れていなかった内川。だが、ボールを体の近くまで呼び込んで打つ打撃スタイルを習得すると一気にブレーク。2008年には日本人右打者のリーグ記録を更新する打率.378をマークして自身初の首位打者に輝いた。その後も連続して3割超えの打率を残してベイスターズの主力になるも「強いチームで力を試したい」という思いから、2010年にFAでホークス移籍を決めた。すると、巧みなバットコントロールをさらにレベルアップさせた内川は移籍した2011年から大活躍。打率.338で首位打者となり、史上2人目となる両リーグでの首位打者を達成した。その後も左右にヒットを量産し、2018年には2000本安打の偉業も成し遂げた。リーグが変わっても進化を続け、FA移籍の重圧を感じさせなかった。
今季、FAで福岡ソフトバンクホークスから読売ジャイアンツに移籍した甲斐拓也、広島東洋カープからオリックス・バファローズに移籍した九里亜蓮らはどんな活躍をみせてくれるのか。そのプレーにも注目していきたい。